葉桜がひとりでそよぐ おれを許していないのはおれだけだった


葉桜がひとりでそよぐ おれを許していないのはおれだけだった/藤井
うたの日 2023.5.2『葉桜』





小学生から12年間、サッカーをしていた。


強豪のクラブチームではなかったが、12年という歳月は私に多くの経験をもたらした。


そして最後の数年間、すなわち私が大学生のとき、私はチームのキャプテンを務め、県の代表に選ばれたりもした。



端的に言えば、私はそれなりの技術をもつ選手になっていた。

そこでサッカーを辞めてしまうのは惜しいくらいの。

何より私はサッカーが大好きだった。

サッカーが生活の中心だった。

周りの人たちは、私のことをこれからもチームに欠かせない存在だと考えていたし、私自身も、これからの人生の軸にサッカーがあると思っていた。




でも辞めた。大学の卒業とともに。




理由として、就職がそれまでの新潟ではなく大阪に決まったことが大きい。


だが、それが全てではない。

というより、サッカーを中心に考え、新潟でサッカーを続けられるような職業を選ぶことだってできたのに、私はそれをしなかった。





私はどこかでずっと、終わり方を探していた。




就職をすれば、学生のときのように時間を思う存分サッカーに注ぐことは難しくなる。

そして20代前半、今が一番身体能力のピーク。
すぐにではなくても、さらに歳を重ねていけば、いつか身体は衰えていく。



私はそれが許せなかった。

そんな自分を許せなくなると思った。



だから、就職が大阪に決まって、ほっとした。



一番いいところで終わることができる。



今まで積み上げてきたものを終わらせる惜しさより、今まで積み上げてきたものの通りの高さで歩みを止められることに安心した。


満開の桜でその年の桜を見納めるように、私はサッカーを辞めた。




今だから思う。

私の身体が衰えても、誰も私のサッカーを否定などしなかっただろうと。




私が社会に出て一番に気がついたのが、自らのプライドの高さだ。


できない自分を許せないと思う時の、心の硬さ。


色々あって、それは多少ほぐれてきて。

だから、時々思う。

あの時自分を許せていたなら、衰えていく自分を許す勇気があったなら。

今でも私は新潟でボールを蹴っていたのかもしれない。



サッカーを辞めたこと、大阪に来たこと、私は私の選択を後悔はしていない。


だけど次、また大事な選択をするときがきた時には、もうすこし素直でいられたらいい。

そう思う。そう思える。




葉桜は恥ずかしげもなくそよぐ。


他の桜やあらゆる植生、過去の自身の姿、そういった全てと比べることもなく、たったひとりで。



葉桜が好きだ。

葉桜の、結局綺麗なところが好きだ。


いつか私も、結局の自分を凛として許していられますように。



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