冬 きみがきみをゆるせない朝ならば給湯ボタンは僕が押すから
冬 きみがきみをゆるせない朝ならば給湯ボタンは僕が押すから/藤井
うたの日 2022.12.1『冬』
「まあいっか」で自分に優しくできないときがある。
冬の水道水は冷たい。
私が想像する冷たいものの中で一番冷たい。
というよりは、冷たいものと言われていちばんに浮かぶ、のほうが正確かもしれない。
辛いとか寂しいとか悲しいとか、そういう気持ちの温度に似ているのが、冬の水道水だ。私の中で。
だから本当は、冬に水道水を出すときはお湯を使いたい。
だけど使わないことの方が多い。まあいっか、顔洗うだけだし。食器洗うだけだし。と。
もちろん、たまには使う。よっぽど寒い日とか。
でも気分が沈んでいる時、落ち込むことがあった時はたいてい、冷たいままの水だ。
なんとなく、自分を許せなくて。
まあいっかが下手だよね、と言われたことがある。
この場合のまあいっかは、自分を縛る紐を緩める方のまあいっかだ。
まあ少しくらいお湯使ってもいいか、の方の。
本当にそう、下手だと思う。
でも、そんな人はきっと沢山いる。
私の大切な人も、もしかしたら、まあいっかが下手かもしれない。
自分に優しくしなくてもいっか、の方ばかり上手かもしれない。
だから私の大切なきみが、もし、自分を許せない時には。その時は、その分私がきみを許したい。
きみはきっと許されることすら痛いのかもしれないけれど、許されるきみ自身くらいは許してあげてほしい。
私も色々な人に、給湯ボタンを押してもらってきたから。
そして今もなお、冷たい水道水を叱ってくれる人がいるから、まあいっか〜と自分を甘やかしてあげないとな、と思う。
どうか、大切な人たちが自分を許せる冬になりますように。
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