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旅するBD-1

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BD-1で日本各地をポタリング旅。
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#旅

旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_46:亀山宿(night)

DAY 4 22:26_亀山宿 2018.3.26の記憶●やっぱり旅は事前情報なしに行く派です 庄野宿から亀山宿までは、8km弱の距離。撮影しなければ、30分ほどで4日目の走行は終了です。そう考えると、暗い夜道をただただ走る行為も、それほど辛くはありません。ただし、東海道旧道沿いの見どころは、暗闇のためにまったく気がつくこともなく通り過ぎるだけです。 現代の徒歩もしくはポタリングでの東海道旧道の旅は、かつての街道筋に思いを馳せながら目で見て楽しむものかもしれません。しかし

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_45:庄野宿

DAY 4 21:43_庄野宿 2018.3.26の記憶●宿場のほうが真っ暗な現在 真っ暗な道から再び国道1号線に合流。街路灯の明かりを頼りに、サドルバックから登山用ヘッドライトを取り出し、来たるべき夜道に備えます。というか、むしろ遅かったくらい。 ヘッドライトを首に提げ、いつでも手元を照らせる準備をして再スタートです。石薬師宿から庄野宿まではあっという間。 国道1号線へは側道から右車線に出ます。信号もなく左車線へ渡れそうもないのでそのまま右車線の歩道を進みます。

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_40:鳴海宿

DAY 4 13:29_鳴海宿 2018.3.26の記憶●宿場より存在感ある間の宿 一里塚は、道路の拡張などからたいていは片方だけしか残っていません。その点、阿野一里塚は、往時のまま両方が残っており、国指定の史跡となっています。 その阿野一里塚から東海道旧道を3kmちょっと走って、県道222号線へ。古い町並みを残すエリアに入ります。するとすぐに浮世絵ポイント。 今回の旅では、歌川広重の浮世絵の場面となっている浮世絵ポイントで撮影することを決まりごとにしておりました。そこ

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_38:岡崎宿

DAY 4 11:15_岡崎宿 2018.3.26の記憶●27箇所も曲がり角はあるのか? 〈岡崎インター西〉を通過し、国道1号線から右へそれて少し走ると、「岡崎二十七曲り碑」と冠木門が見えてきます。児童公園にでもなっていそうな三角形の敷地です。 ここから東海道五十三次旧道におけるオリエンテーリングのスタートです(と言っても、たいていの曲がり角に標識などがあるので、コンパスも地図もなくてもほぼほぼ大丈夫)。 アプリでルートを確認すると、27箇所も曲がり角があるようには見え

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_37:藤川宿

DAY 4 9:56_藤川宿 2018.3.26の記憶●なんだか落ち着かない東海道旧道 赤坂宿からは国道1号線を走ったり、コクイチと並行する側道(と云う名の旧道)を走ったりしながら、しばらく変化に乏しいルートとなります。 〈市場町〉を越えると、左手にローソンがありますが、そのすぐ先で再び国道1号線とお別れします。 ここが、藤川宿東棒鼻。藤川宿の浮世絵ポイント。

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_36:赤坂宿

DAY 4 9:10_赤坂宿 2018.3.26の記憶●赤坂はやっぱり夜の町だった 御油の松並木を通り過ぎると、すぐに小さな橋を渡ります。橋のたもとには、「生活道路につき一般通過車両の進入はご遠慮ください」の看板。 BMW i8での東海道五十三次の旅のとき、シレッと通過しちゃいました。なぜなら私道ではなく県道だったから。 しかし、今回は自転車なので遠慮することなく突き進みます。 赤坂宿は、『東海道中久栗毛』で弥次郎兵衛と北八が宿泊した場所です。当然、ふたりはここでもひ

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_35:御油宿

DAY 4 8:56_御油宿 2018.3.26の記憶●現代の東海道旧道は川ではなく道に阻まれる 3泊目は無事に豊橋駅前のビジネスホテルに宿を取ることができました。熱いお風呂に浸かることもできたし、ひげも剃ることもできたし、なによりベッドでぐっすり睡眠できたことでかなり体力が恢復。 それに、GoProとiPhoneに電力を供給するバッテリーの充電も完璧。 いつかキャンプ泊しながらBD-1で旅したいと思っているのですが、やはりこうした点で二の足を踏んでしまうのです。 今

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_34:吉田宿

DAY 3 18:21_吉田宿 2018.3.25の記憶●ジグザグなルートを標識に沿って 火打坂を登りきると、大きな園芸店の駐車場が左に見えてきます。その少し先を左折、道なりに進んでいくと、右手にマクドナルド現れ、東海道旧道は国道1号線と合流します。 まだこの日、宿泊するホテルは決まっていませんが、力を振り絞ってペダルを漕いでいきます。緩やかな下り坂なので、スピードも乗ってきます。 豊橋市西新町と書かれた歩道橋が見えてきたら、左折。歩道橋を使って、向こう側へ渡るのもいい

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_33:二川宿

DAY 3 17:38_二川宿 2018.3.25の記憶潮見坂を登りきって、高台の東海道旧道を進んでいくと、白須賀宿本陣のある細い通りを走っていきます。古い家と最近建てられた民家とが乱立する通りなのですが、落ち着いていて静かな道です。個人的には嫌いではありません。 かつての旧道が、たまたま時代の変化に取り残されたことでむかしの町並みが取り壊されずに今に伝わるのもいいのですが、こうしていまや幹線道路ではなくなった宿場筋が、今を生きる人達の生活に合わせて変化していくさまもいいも

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_32:白須賀宿

DAY 3 17:01_白須賀宿 2018.3.25の記憶新居宿の本陣跡から南下して、900mほど行くと、〈橋本〉で県道417号線に出ます。ここに静岡県を走っていて何度も見かけた道標がありました。 そして大した道幅でもないのに地下道が設けられていました(東海道旧道だから???)。 気がつくと、Wが左、Eが右に変わっていることを発見。どうして逆になっているのかは謎です。篠原では左が「E」、右が「W」となっていて、「E」の下に江戸、「W」の下に京と書かれていたのです。ひょっと

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_31:新居宿

DAY 3 16:16_新居宿 2018.3.25の記憶舞坂宿から先は、本来なら海路となる新井宿までの東海道旧道。もちろん、現在は陸路です。 弁天橋を渡って国道301号線を西へ向かいます。その国道301号線を進むと、そのまま新居関所に出るのですが、浮世絵ポイントの「渡舟図」の場所へと迂回して記念撮影。浮世絵と同じく現在も舟が浮かぶ姿を見ることができます。

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_30:舞阪宿

DAY 3 15:51_舞阪宿 2018.3.25の記憶吉牛とはなまるうどんという禁断の炭水化物組み合わせランチを食べたばかりとはいえ、すでに3時のおやつの時間を過ぎると、陽の傾きも気になりはじめました。 西日へ向かって直線路を走るのですが、ペースはあがりません。体力的な疲れによるペースダウンではなく、それは向かい風によるもの。遠州のからっ風とよばれているものです。 ●見事に整備された舞坂の松並木 逆光で眩しい視界の先まで真っ直ぐに伸びる道に、くろぐろとしたシルエットが

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_29:浜松宿

DAY 3 14:10_浜松宿 2018.3.25の記憶東海道の「どまんなか」を過ぎて、西を目指します。 県道314号線を真っ直ぐ進むと、いつしか312号線になり、それが152号線になって浜松駅へとつながっていくのです……と、県道の名称が変わるのはどうでもよくて、向かう先に浜松アクトタワーがぽつんと見えてくるので、いよいよ浜松だという思いと、まだまだ浜松だという思いとが入り乱れるのです。 浜松は、日帰りで横浜からクルマで取材に来ていた場所なので、近いのか遠いのか、なんとも

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_28:見付宿

DAY 3 11:35_見付宿 2018.3.25の記憶「江戸の古道」の急坂を上りきると、しばらく日本中どこにでもありそうな普通の生活道路が続きます。見付宿場通りに出てまっすぐ進むと、右手に近代建築が目に入りました。 「旧見付学校」です。 名物などはスルーするのですが、建築に目がないため、休憩がてらふらふらと敷地内へ。1875年に竣工した旧見付学校は、現存する日本最古の木造擬洋風の小学校校舎と言われ、土台となる石垣は遠州横須賀城の石垣を再利用したと言われています。

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