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旅するBD-1

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BD-1で日本各地をポタリング旅。
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#サイクリング

旅するBD-1、中山道六十九次旧道を行く_01:板橋宿

DAY 1 08:07_板橋 2019.4.25の記憶●とげぬき地蔵を軽く参拝 雨上がりの日本橋は、木曜日(平日)の朝。つまり、これから出勤という人たちの姿が増えてくる時間帯。巣鴨駅を右手にする頃には、完全に通勤時間帯となってしまった。 〈とげぬき地蔵入口〉で、巣鴨地蔵通り商店街へと進路をとる。駕籠をモチーフとした車両通行禁止の案内板が道路の中央でクルマの行く手を塞いでいる。日本橋を出立したあと、旧中山道を走っている気分にいまひとつ浸れずにいたけれど、ここにきて旧中山道を

旅するBD-1、中山道六十九次旧道を行く_00:日本橋

DAY 1 07:10_日本橋 2019.4.25の記憶●平成時代にやり残さないこと 平成が終わる。 それは昭和の時と違って、あらかじめスケジュールされていました。突然終焉を終えた昭和。高校2年冬、何かやり残したことがあるようなないような、そんな思いで平成を迎えたのでした。 平成のうちにやり遂げておきたかったこと。いつか、ではなくて、いま、やっておきたいこと。 平成のカウントダウンが始まって、慌てて旅の出立準備を始めました。それが、中山道旧道をBD-1で走破する旅だっ

旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_53:三条大橋

DAY 5 18:07_三条大橋 2018.3.27の記憶●時代から取り残されたようなエリア 京阪京津線の大谷駅の先で歩道橋を渡り、ふたたび国道1号線に合流。坂を下りればそこは三条、ではなくて、クルマで見慣れた京都東IC。逢坂山の坂道と東山あたりの坂道を混同しておりました。逢坂山を下っていけば、左手に蹴上浄水場が見えてくるものとばかり……。完全なる記憶違い。 しかし自転車だと、ここから先が意外と走り甲斐があります。最後に、旅情あふれるステージが残されているのです。まず、名

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_53:大津宿

DAY 5 16:52_大津宿 2018.3.27の記憶●単独行に憧れる 瀬戸唐橋を渡ると、もう大津宿に入ったような気分になります。〈鳥居川〉を右折して、京阪石山坂本線と琵琶湖線をクロスしながら北上。 しばらく琵琶湖は見えない琵琶湖畔をジグザグしながら走ります。クルマだと大津から京都までほんのちょっと。BMW i8で東海道を走破したときは、草津宿に20時頃に到着して撮影、その後、大津宿を下見しながら走って、京都市内に一旦入った経緯があります。それから再び大津まで戻って、国

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_52:草津宿

DAY 5 15:41_草津宿 2018.3.27の記憶●記憶と違う東海道旧道 時代の流れとともに変化していたことを体で感じたBD-1での東海道旧道旅でしたが、それを現在進行形で感じたのが草津宿です。 東海道旧道と国道1号線がクロスするポイントが、まさに変わりつつある最中でした。2015年のBMW i8で旅したときのルートとは、まったく景色が変わっていたのです。 そもそも、2015年に通った時から、なんか変な道だと思っていたのです。しかしそのときは川沿いの道を進んでいた

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_51:石部宿

DAY 5 14:44_石部宿 2018.3.27の記憶●スケジュール通りの進行 5日間でゴールできるという目算がたったからか、水口宿では「飛出しとび太くん」なんかに心を奪われてしまい、やはり旅は心のゆとりが必要なのだなぁ、と思いいたったのでした。 そもそも、旅には日常の資本主義的競争社会から離れて、普段は目にしない景色や様々なものを見て、自分自身のことを見つめ直すという側面があります、あくまでも個人的にですけど。 それなのに、最初は3日間で東海道旧道を制覇する予定で出

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_50:水口宿

DAY 5 12:58_水口宿 2018.3.27の記憶●はじめての三択というルート 水口宿の江戸方には、冠木門があるのですぐに分かります。ここが水口宿東見附跡。さらに少し行くと二股に分かれるポイントがあり、そこが高札場跡。ここは左右どちらのみちを進んでも正解。有名な三筋の道なのです。 今回は左を選択。するとすぐに進行方向二手に分岐しているのですが、そこは右を選択。つまり、三筋の道の真ん中を選択したのです。日本橋から三条大橋を目指すと、三筋の道がいまいちピンときません。地

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_49:土山宿

DAY 5 11:55_土山宿 2018.3.27の記憶●神社の参道が東海道旧道 鈴鹿峠を越えるのにどれほどの時間、どれだけの体力が必要かよくわからなかったこともあり身構えていたせいでしょうか、トンネルを使って鈴鹿峠をクリアしてしまった後、あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまいました。初日の箱根峠越えの記憶が鮮明に残っていたせいでもあります。 まだゴールしてもいないのに、もうゴールしたようなそんな気分。京都駅から新幹線で本日中に横浜まで戻ることができる算段がついてしまいま

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_48:坂下宿(鈴鹿峠)

DAY 5 11:08_坂下宿(鈴鹿峠) 2018.3.27の記憶●鈴鹿峠はいつも旅人と話す場所だった 宿場町には連子格子の建物だったり、かつての街道筋だったことを連想させる雰囲気が残っているものです。しかし、坂下宿にはそうした残り香がほとんどありません。確かに、沿道沿いに民家が増えますが、それは山間の道路を走っていれば普通にある集落と一緒です。 もともと小さな宿場だったならば気にもなりませんが、かつては本陣が3軒と脇本陣1軒をあわせて旅籠が51軒もあったという賑わった宿

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_48:坂下宿(筆捨山)

DAY 5 9:50_坂下宿(筆捨山) 2018.3.27の記憶●観光地をコラージュした浮世絵ポイント 東海道五十三次旧道で、最大の難所は箱根越えでしょう。そのあと、急坂をいくつか越えてきましたが、鈴鹿峠がゴール前の最大の難所だと思っていました。 関宿も東から西へは、いうなればずっと上り坂です。その関宿を抜け1号線に合流すると、景色はいよいよ峠越えの様相に一変します。 左車線は路肩しかなく歩道がありません。キコキコゆっくり上っていくには、トラックなどの交通量が多すぎて身

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_46:亀山宿(night)

DAY 4 22:26_亀山宿 2018.3.26の記憶●やっぱり旅は事前情報なしに行く派です 庄野宿から亀山宿までは、8km弱の距離。撮影しなければ、30分ほどで4日目の走行は終了です。そう考えると、暗い夜道をただただ走る行為も、それほど辛くはありません。ただし、東海道旧道沿いの見どころは、暗闇のためにまったく気がつくこともなく通り過ぎるだけです。 現代の徒歩もしくはポタリングでの東海道旧道の旅は、かつての街道筋に思いを馳せながら目で見て楽しむものかもしれません。しかし

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_44:石薬師宿

DAY 4 21:09_石薬師宿 2018.3.26の記憶●狭い夜道はもったいないだらけ 暗くなると、旧東海道がいかに現代ではメインストリートではなく裏道であるかがよくわかります。 明るいときは、コンビニや飲食店がないので困るのですが、これはちょっと迂回して用を足すことができます。しかし、この旅は旧東海道を走るのが目的なので、暗いからといって街路灯のある幹線道路や国道1号線を走るわけにはいかないのです。 明るい四日市宿を抜けると、一気にあたりは暗くなります。しかし、まだ

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_40:鳴海宿

DAY 4 13:29_鳴海宿 2018.3.26の記憶●宿場より存在感ある間の宿 一里塚は、道路の拡張などからたいていは片方だけしか残っていません。その点、阿野一里塚は、往時のまま両方が残っており、国指定の史跡となっています。 その阿野一里塚から東海道旧道を3kmちょっと走って、県道222号線へ。古い町並みを残すエリアに入ります。するとすぐに浮世絵ポイント。 今回の旅では、歌川広重の浮世絵の場面となっている浮世絵ポイントで撮影することを決まりごとにしておりました。そこ

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_39:知立宿

DAY 4 12:33_知立宿 2018.3.26の記憶●食欲を満たすには国道1号線で 矢作川を渡って、岡崎宿の浮世絵ポイントで撮影したあとは、国道1号線に並行した東海道旧道を西へ。 しかし、どうやら血糖値が下がってきた模様です。常に体を動かしているせいか、いつもより空腹感が半端ありません。「食欲」を満たさないことには、BD-1の旅は先へ進めないのです。 こんなとき、旅情あふれる旧道にはコンビニやファミレスが少ないのが難点。常時表示している東海道の地図アプリを見ると、6

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