誰かが嘘をついている
道後温泉近く、石手川沿いの岩堰で初めて遭遇しました。イカルです。羽のはっきりした色合いと黄色い嘴が印象的。すごく美しいです。つくづく自然の造形は素晴らしいと感じます。
ちょっと不思議な名前ですが、『大言海』には「名前の由来はイカルカド(稜起角=とがった角?)の下略か」と書かれてあるのだそうです。
それはそうと、気になった点がひとつ。イカルは漢字で「鵤」のほか「斑鳩」とも表記できますが、奈良県生駒郡の斑鳩(いかるが)町と同じですよね。
なぜ?
地名・斑鳩の由来は、一説に「この地に斑鳩という鳥が群をなしていたため」と言われています。(※斑鳩町公式サイト参照)また、『角川日本地名大辞典』(1990、角川書店)にも「地名の由来は当地に斑鳩が群居していたためという説がある」と同様のことが書かれています。
ですが、ここで言う「斑鳩という鳥」が問題。
「斑鳩」という地名自体は古く、『日本書紀』にも廐戸皇子の居所として記述があります。『法隆寺伽藍縁起并流記(がらんえんぎならびにるき)資財帳』では「伊河留我寺」との表記があるそうなので、天平の時代には読み方も「いかるが」だったのでしょう。
ただ、『日本鳥名由来辞典』(1993、柏書房)では「斑鳩は実はジュズカケバトの漢名であって、いかるがとするのは誤用である」とキッパリ。(イカルの漢名は桑鳸)
では、イカルではなくジュズカケバトが群れをなしていたかというとそれも疑問。
同書のジュズカケバトの項には「江戸時代前期にジュズカケバトとシラコバトが渡来し、シラコバトは関東の一部で野生化し、ジュズカケバトは飼鳥として飼われるとともに一部は野生化していたようである」とあります。
つまりジュズカケバトが野生化したのは江戸時代以降であって、だいぶ時代が違うのです。
やはり斑鳩に群居していたのはイカルだった?
イカルをジュズカケバトと見間違えたのか(見た目は似ていませんが)、それともジュズカケバトを見たことがなかった人物がイカルを斑鳩と決めつけたのか、あるいはまるで違う第三の鳥を斑鳩と呼んだのか。
いずれにせよ古代の誰かが意図せず嘘をついてしまったようですね。
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