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魔法少女リリカルなのは Reflection 24

 電灯もつかない廃ビルの一室で――。
 傷んだソファーに寝そべり、キリエは息を乱していた。
「はあ、はあ……」
「これで止血はオーケー、と」
 傷口の処置を終え、イリスがキリエの柔肌にシャツを被せる。
「まったく。自分ごと撃つなんて、無茶しすぎ」
「あ、あはは……つっ?」
 友達の手前、無理にでも笑うしかなかった。
 目的は果たせたのだから、名誉の負傷。イリスが手に入れ損ねた闇の書も、土壇場で奪取することができた。それでも今、こうしてまたイリスの手を煩わせている。
「ごめん……」
「いいから。あとは血液と一緒に流れちゃったナノマシンの補充だね。準備するから、もう少しだけ我慢してて」
 イリスが背中を向けるのを確かめてから、キリエはきつく目を瞑った。脇腹の傷は塞がったとはいえ、今なお痛みは続いている。
 その激痛のせいで弱気になっているのだろうか。
(大事なパパと故郷を救う……その一心で、この星へ来たけど……)
 固かったはずの信念が、胸の中で揺らぎ始めていた。自分もろとも姉を撃った、あの瞬間が脳裏でフラッシュバックする。
『わかんないでしょ? わたしがどんな思いで、どんな覚悟でここにいるか』
(どうして私、あんなふうに言っちゃったんだろ)
『お姉ちゃんはいつもそうやって『いい子』なんだよね』
(あんな、あてつけみたいなこと……)
 アミティエも大切な家族なのに。アミティエのことが好きだったはずなのに。
 よくできた姉と比べられるのが、幼い頃から気に入らなかった。しかし父も母も、一度としてキリエとアミティエを比較したことはない。
 なのに自分は癇癪を起こし、姉に致命傷まで与えてしまった。
 エルトリアの再生計画が頓挫したこと、父がもう助からないこと――そんな現実に対する苛立ちが爆発したのかもしれない。
 だからといって、アミティエを撃ってよかったのか。
 魔導士たちを痛めつけてまで、闇の書を奪うことは正しかったのか。
 あの人形みたいな女の子の、悲痛な叫びを思い出す。
『これははやてちゃんの大切なものなんです! それに、先代が遺してくれた……たったひとつの宝物なんです!』
(大切なものを守りたいって気持ちは、みんな同じ……)
 もし赤の他人がやってきて、『ちょっとだけ貸して』とキリエの父や母を連れ去ろうとしたら、自分はどうするだろうか。
 あの小さな女の子と同じことをしないか。
『うちのフェイトちゃんは優しい子なんで、苛めないであげてくださいね』
『力になれるよう頑張りますから。お話、聞かせてください』
 高町なのはとフェイト=テスタロッサにしても、いきなりキリエを攻撃するような真似はしなかった。その隙に乗じて、キリエはふたりを出し抜いている。
 そして、ついにはシステムオルタの力で一方的に殴り飛ばしてしまった。
 誰にも迷惑を掛けない――だったら機動外殻など持ち出さず、こちらから話し合いの場を設ける方法もあったはずなのに。
 イリスがナノマシンの注入器を手に戻ってくる。
「痛むけど、我慢してね?」
 その先端がキリエの腕に押し当てられた。
 身体中で血液が暴れるような激痛が生じ、キリエは悶絶する。
「うああああああッ!」
 これは罰かもしれない。
 あの子たちの大切なものを、ことごとく踏みにじったことへの――だからといって誰に許されるわけでもない、独りよがりな罰。
 やがて容態も落ち着き、イリスが安堵の色を綻ばせた。
「バイタル安定。よかった、一安心ね」
「うん……ありがと、イリス」
 キリエは身を起こし、シャツのボタンを閉じる。
 不意にイリスの口調が変わった。
「キリエ、後悔してない?」
「なんで?」
 彼女はキリエを直視せず、器具を片付けながら淡々と語る。
「酷い目に遭って お姉ちゃんとも喧嘩しちゃったでしょ。私の言う通りにしたの、後悔……してないかなって」
「そんなことないわ。イリスは私にチャンスをくれたの」
 これだけは即答できた。
 罪悪感を振りきるつもりで、キリエは持ち前の明るい調子を演じる。
「さ、やっちゃいましょ。鍵の取り出し」
「うん」
 イリスは八神はやてのデバイスをかざし、詠唱に入った。
(本当に何でもできるのね、イリスは……)
 魔導に精通しているわけではないキリエには、見守ることしかできない。
 デバイスがひとりでに宙に浮いた。
「フォーミュラ・エミュレート。アルターギア『闇の書』、コードロック解除」
 どこからともなく光の粒子が集まってきて、廃ビルの一室を照らす。夜の暗さに目が慣れていたせいで、やけに眩しい。
 デバイスは魔導書の姿となって、ページを開いた。
「管理者権限にアクセス。封印の鍵……起動!」
 イリスの正面で光が収束し、一個のエネルギー体を浮かびあがらせる。
 ただならない威圧感を覚えるとともに、キリエは期待を滲ませた。
「これが永遠結晶への鍵?」
「ええ。渇望に身を焦がしながら、幾星霜もの間、深き闇の中でたゆたっていた……」
「ふうん……詩人だったのね、あなた」
 キリエの冗談を聞き流し、イリスは『鍵』を見詰める。
『我は誰だ……何も思い出せん』
 それがエネルギー体の言葉らしいことに、キリエははっとした。
 イリスは動じず、当然のように話しかける。
「あなたは王様。古い魔道書の中で眠らされていたの」
 黒く淀みきった『それ』から、赤と青、ふたつのエネルギー体が分離した。赤と青のエネルギー体はあたかも衛星のように、本体を中心にゆっくりと旋回を始める。
「あなたの周りをまわってるのは、あなたの大切な臣下」
『臣下……』
「私たちはあなたに、失った力を取り戻すチャンスをあげたいの。永遠結晶の無限の力」
 中央の本体が荒々しく揺らめいた。
『永遠結晶! それだ……我が求める、大いなる力』
「王様のものよ。だから、取り戻すための力を貸してあげる」
 黒いエネルギー体が俄かに形を変える。
 そこにはひとりの、裸の少女が立っていた。髪は脱色したような色合いだが、見覚えのある顔立ちに、キリエは思わず声を上擦らせる。
「これって……」
「闇の書の現所有者のデータをインストールしたわ。悪くないでしょ」
 目の前に今、『八神はやて』がいた。
「思い出したぞ。我が名は『ディアーチェ』……」
 八神はやてと瓜二つの少女はそう名乗り、イリスを睨む。
 それも意に介さず、イリスはキリエを促した。
「キリエ、ふたりのデータを」
「あ、うん」
 キリエは手甲をかざし、高速道路上の戦闘で取得したデータを差し出す。
 夜天の書のページが二枚、剥がれるように外れた。
 一枚は高町なのはのデータを得て、赤いエネルギー体と。もう一枚はフェイト=テスタロッサのデータを得て、青いエネルギー体と融合する。
 その色を髪の色とした少女が、ディアーチェの両隣に並んだ。
 人間の身体のおかげか、ディアーチェの言葉はより明瞭に聞こえる。
「我が臣下……そうだ。シュテル」
 高町なのはと同じ顔の、赤い髪の少女が頷いた。
「レヴィ」
 フェイト=テスタロッサと同じ顔の、青い髪の少女も頷く。
「あぁ、思い出した……あらゆる望みは我が手の中に。世界のすべては我が腕の中」
 ふたりを従え、ディアーチェは高らかに宣言した。
「無限にして無敵の王に、我はなる!」
 キリエはぞくっと震える。
「な、なんか……すごい子たちね」
「あの子たちは鍵よ。とても大切な鍵……」
 イリスは警戒もなしにディアーチェたちに近づいた。
「データから組みあげた、かりそめの肉体だけど。どう?」
「なんだ? 貴様は」
 『王様』らしいディアーチェは尊大な物腰でイリスと対峙する。
(この子たちが永遠結晶の鍵? ほんとに言うこと聞いてくれるの?)
 疑問と不安とがキリエの胸を掠めていったが、さすがに突っ込まずにいられなかった。
「ね、ねえ……王様だっけ? まずは服をどうにかしない?」
 ディアーチェも、シュテルも、レヴィも、素っ裸で平然としている。
 にもかかわらず、首を傾げる王様。
「何を言っとるのか、わからん。シュテル、通訳しろ」
 シュテルは真顔のままでまくし立てた。
「使用してる言語は同じです。が……防御の面でいささか不安のある恰好という点は、否定できません。甲冑の着用を具申致します」
「あっ、武器! 武器も欲しいっ!」
 対照的にレヴィは表情をころっと変え、無邪気に笑う。
 ディアーチェたちは瞬時のうちにバリアジャケットを生成、その身にまとった。八神はやてたちのデータを参照し、魔力で構築したらしい。
「これでよかろう」
「ちょうどいいわ。邪魔しに来る連中がいるから、その装備で相手してあげて。足止めしてくれれば、それで充分」
 イリスは共闘を持ちかけるも、ディアーチェの返答は素っ気なかった。
「我らは誰の指図も受けぬ。たとえ貴様が我を呼び出した術者とあっても、な」
「あら……私たちの目的が『永遠結晶』だとしても?」
 ところが、その一言にディアーチェが眉を顰める。
「貴様……」
「指図じゃないわ、協力よ。それならいいでしょう? 王様」
 戦端は開かれつつあった。