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魔法少女リリカルなのは Reflection 31

 その戦いのすべては陽動だった。
 キリエはイリスとともにオールストン・シーに潜入、先を急ぐ。
「囮になんてしちゃって、いいのかな……あの子たち」
「どうして? 作戦を考えたのは私だけど、今の状況はキリエの望み通りじゃない」
「そう……だけど」
 永遠結晶に近づいている――そう確信するほどに、罪悪感も大きくなった。
 姉を撃ち、少女たちの心を踏みにじって今、自分はここにいる。そのうえディアーチェたちを体よく時空管理局にけしかけ、囮に使ってまで。
 隣でイリスがほくそ笑む。
「ふふふ……これだけの魔力がぶつかりあって、渦巻いてるんだもの。しかも戦ってるのは『あの子たち』なんだから、今に目覚めるわ」
「目覚める……?」
「ええ、見つけるだけじゃだめ。目覚めさせないとね」
 とにかく今は走るほかなかった。
(そうよ。やっとここまで来たんだもの)
 もうすぐ永遠結晶が手に入る。それを持ち帰れば、父親を救える。
 その一心でオールストン・シーを走り抜け、やがて海中のエリアに出た。多種多様な魚が水槽に閉じ込められているのを見て、キリエは
「研究所?」
「違うったら。ここはね、水族館」
 もとよりキリエにはレジャー施設全般の知識がない。
「……あれは」
 オールストン・シーの水族館、海中の鉱石展示ホールにて。
 キリエとイリスは紫色の輝きが美しい、大きな宝石を目の当たりにした。全長は五メートルほどあり、ホールの中心で異様なまでの存在感を放っている。
 宝石の表面にうっすらとキリエの顔が映った。
 感慨深そうにイリスが呟く。
「やっと見つけた……これが永遠結晶……」
 むしろキリエよりも彼女のほうが、永遠結晶を求めていたかのような声色で。
「キリエ。私を永遠結晶のほうへ」
「あ、うん」
 キリエはイリスの本体である石版を取り出し、紫色の巨大鉱石へそっと近づける。
「アクセス。システムドライブ……ウイルスコード起動」
 イリスの台詞に不穏な言葉が混ざった。
「イリス? ウイルスって……」
 今まで考えもしなかったことが脳裏をよぎる。
 どうしてイリスはここまで親身になって、協力してくれるのだろう。イリスにとって永遠結晶には何の意味が――。
「そこまでだ」
 しかしキリエの逡巡は、第三者の一声によって妨げられた。同時にバインドの魔法がキリエと、イリスの石版をも拘束する。
「くっ? でもこの魔法なら、とっくに解析済み……」
 そのつもりが、思うように無効化できなかった。魔法そのものは解除したはずなのに、依然として拘束具は残っている。
「無駄だよ。魔力はすでに物理エネルギーに変換したあとだからね」
 対応されてしまった。
 仮に炎の魔法を無効化しても、燃え移った分の火を消せるわけではない。このバインドも物理的な拘束具となった時点で、もとの魔法から切り離されている。
(やってくれるじゃないの……!)
 青年は二十名に近い部下を連れ、キリエたちを取り囲んだ。
「僕は時空管理局・東京臨時支局の支局長、クロノ=ハラオウンだ。キリエ=フローリアン、そしてイリス。次元法違反の現行犯で逮捕する」
 この包囲にしても、あまりにタイミングがよすぎる。やはりキリエたちが永遠結晶の前で無防備になるのを狙って、待ち伏せしていたに違いなかった。
 キリエは舌打ちしたい心境で固唾を飲む。
「まさか……そっちも永遠結晶の在り処に気付いて?」
「君たちの行動を分析したまでだ。君たちの事情についてもアミティエから聞いてる」
 フォーミュラで一気に――とは思うものの、バインドにはフォーミュラの発動を抑制するらしいプログラムが仕組まれていた。
(さすが時空管理局……この数時間のうちに、ここまで対応できるなんて……)
 前回は奇襲ゆえのアドバンテージがあったのだろう。今回は時空管理局が磐石の布陣で構えているのに加え、おそらくアミティエも関与していた。
(でも……お姉ちゃんは無事なのね)
 それを口にする資格がないことくらい、キリエは自覚している。
 そのせいで安堵と悔恨とがない交ぜになり、キリエの戦意を妨げた。少なからず自分は今、この行動に疑問を感じ始めているのだから。
(システムオルタで蹴散らして……ううん、先にコレを外さないとね)
 それでも抵抗を諦めず、キリエはイリスに目配せする。
 包囲網の中、イリスは平然と言ってのけた。
「もう遅いわ」
 石版は雁字搦めにされようと、ホログラムのほうは拘束されていない。実体らしい実体がないのだから、されようもない。
「だけど、ちょうどよかった。身体を作るための材料が必要だったから」
「イリス?」
「すぐ終わらせるわ。キリエ、ちょっと待ってて」
 イリスが手をかざすと、クロノたちは一斉に構えた。
「動くんじゃない!」
「こんなの動いたうちに入らないでしょ?」
 優しいイリスのものとは思えない冷笑が、キリエを驚かせる。
(イリス、何を……)
 永遠結晶が鈍い光を放った。
 次の瞬間、管理局の隊員たちの身体を、内部から黒い『何か』が突き破る。
「ぐあああっ?」
「ど、どうし――あぐう!」
 指揮官のクロノもいきなり右肩を抉り取られた。
 全員が全員、前触れもなしに次々と身体に穴を空けられ、赤黒い血を噴き出す。
 何が始まったのか、キリエにはわからなかった。凄惨な地獄絵図を見間違いだと思い、最初のうちは呆然とする。
(永遠結晶の力、なの……?)
 そして戦慄した。この暴虐にまるで躊躇いがないことに。
 ほかでもない親友のイリスがやったことに。
「使わせてもらうわ」
 クロノたちの身体から飛び出したモノを集め、イリスは変移した。それを文字通り己の血肉と化し、肉体を生成。本物の瞳を開き、生きたイリスとなる。
 クロエたちは気を失うとともに倒れ、立っているのはイリスとキリエだけとなった。
「う……あ……」
 驚愕のあまりキリエは話すに話せない。表情を慄然と強張らせたまま、ぱくぱくと口を小さく開け閉めするだけ。
 イリスが指先から『魔法』を放ち、キリエの拘束具を引き千切る。
「ふうん。データだけでも、それなりに使えそうね」
 身体の自由が戻った拍子に、キリエは我を取り戻した。見るに堪えない惨状を一瞥し、悲鳴のような声を張りあげる。
「イリス! どうしてこんな真似……なるべく穏便にって、私、言ったじゃない!」
「穏便?」
「無関係のひとは巻き込まないって! それが、なのに……」
 しかしイリスは関心もなさげに嘆息した。
「キリエだって散々暴れたじゃないの。ずっと年下の子を痛めつけて、闇の書を強奪して……同じことでしょ?」
「だ、だってあれはパパのためで……」
 反論しようにも、キリエは言い切れずに口ごもる。
 今まで『パパのため』を合言葉に己の罪悪感を誤魔化してきた。目を逸らしてきた。その身勝手さを叱責されたような気分になる。
 イリスは振り向きもせず、面倒くさそうに吐き捨てた。
「あなたはもう帰っていいわよ」
 彼女の背中をやけに遠くに感じながら、キリエは声を震わせる。
「か、帰っていいって……ど、どういう意味……?」
「……はあ。あのね、キリエ」
 向こうで大きな溜息が漏れた。本物となったイリスの唇が真相を語り出す。
「この永遠結晶の中には悪魔が一羽、眠ってるの。途方もない力を持った悪魔が」
 何を言っているのか、キリエにはまるでわからなかった。
「悪魔……?」
「そう。だから星を救うとか、あなたのパパを助けるとか、そんなことには使えないの」
 イリスの言葉はあたかも死刑宣告のように、キリエの心を萎縮させる。
「だけどイリス……永遠結晶はエルトリアを救済するための力、だって……」
「ああ、あれ? ごめんね。嘘をついたわ」
 どくんと心臓が跳ねた。冷や汗がこめかみを伝う。
「パパの病気も治るかもって……」
「それも嘘。そうでも言わなきゃ、あなたに手伝わせることができなかったから」
 無意識のうちにキリエは平衡感覚を失い、くずおれていた。歩くことはおろか、立つことさえままならず、四つん這いに近い姿勢でイリスに問いただす。
「嘘よ、そんな……ねえ、イリス? 嘘よね?」
「そうね、嘘だったわ。あなたに話したこと、あなたに言った言葉も」
 ようやくイリスは振り向き、別人のような嘲笑を浮かべた。

   「出会ってから全部、嘘」

 冷たい衝撃がキリエの全身を突き抜けていく。
「甘ったれのあなたと付き合うのは、大変だったわ」
 イリスとの思い出の日々が走馬灯のように脳裏をよぎった。その記憶のすべてを、ほかでもないイリスによって踏みにじられる。
 彼女にずっと騙されていたなど、考えたこともなかったのに――。
「だけど一応感謝はしてるから、教えてあげる」
「いやっ! やめて!」
 混乱の中、キリエは両手で耳を塞ぐ。
 今さら何を聞かされるのか、それが怖かった。しかしイリスは直通の回線をこじ開け、キリエの頭の中へ、じかに語りかけてくる。

   私は人工知能なんかじゃない。
   エルトリアで暮らしてた人間だった。
   だけど、この悪魔に私は、命も家族も大切なものも全部奪われた。
   心だけが生き残って、石版の中で眠ってた。
   眠ってる間もずっと探してたの。
   この悪魔に復讐するための方法を。

 悪魔、そして復讐。
 彼女の本当の目的を垣間見て、キリエは背筋を凍らせる。
「だけど、だからって……」
「何が悪いの?」
 イリスは肩を竦めると、悪びれる様子もなしにまくし立てた。
「心から願った想いがあるなら、他人がどうなろうと関係ない。キリエもそうやって、自分の願いを叶えようとしたでしょ? みんなを傷つけて」
「違う! 私はパパのために――」
「ハッ、まだ言うの? あれだけ殴って、痛めつけて、お姉さんまで撃ったくせに」
 パパのため、という自己暗示の言葉が虚しく響く。
「同じよ、私もあなたも。何より自分の目的が大事なの。そのせいで、どこかの誰かさんが酷い目に遭ったとしても、ね」
 キリエは血の気が引くほど蒼白になり、頭を垂れるしかなかった。
 この星でキリエが他人を歯牙にも掛けなかったのと同じように、イリスもまた、キリエという他人の一切合切を否定する。
 そして用済みになれば、あとは切り捨てるだけ。
「お話は終わり。バイバイ、『どこかの誰か』」
 イリスはキリエに背を向けると、永遠結晶とともに転移してしまった。
 キリエの瞳から大粒の涙が溢れる。とめどなく頬を濡らしては、嗚咽に混ざる。
「うっ、うぐ……ヒック……うああああああーーーっ!」
 がらんどうの展示ホールに絶望が木霊した。