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魔法少女リリカルなのは Reflection 03

 惑星エルトリアを蝕む『死蝕』――。
 それを食い止め、再び緑を取り戻すため、グランツ=フローリアンはあえてエルトリアに残り、研究を続けていた。
 当然、調査や実験の際は『死蝕』の領域へ近づくことになる。
 身体の免疫が強化されているアミティエやキリエならまだしも、普通の人間である父がそう長く耐えられるはずがなかった。
 症状は重度の内臓疾患。病院のないエルトリアでは、治療もままならない。
 母のエレノアはグランツの看病や研究の引き継ぎで、徐々に憔悴していった。肉体的な疲労は無論のこと、精神的にも追い詰められたのだろう。
 そのうえ、順調に思えた土壌の改良も、あと一歩のところで失敗。今になって遺伝子からなる異常が発生し、夢のような農場は呆気なく枯れ果ててしまった。
 一時は研究員の増員、新しい施設の建設という話も浮上していただけに、アミティエたちの落胆は大きい。
 コロニーからは今、再三に渡って『研究の中止』が催促されていた。もはや定時連絡を待たず、昨日の今日でまた通信が届く。
『引き上げの件、委細了解したよ。エレノア君、無念だろうが……私もむざむざとグランツ君を犠牲にはできん。君も今にどうなるかわからないし、娘さんたちもいるんだ。どうか自分を責めないでくれ』
「……はい。ありがとうございます」
『アミティエ君。すまないが、あと少しの間だけ頼んだぞ』
「了解です」
 コロニーとの通信が終わっても、エレノアは顔を上げられずにいた。
 エルトリアの復興は中止――有無を言わせない現実が、沈黙を重くする。
 そもそもフローリアン家が研究に従事する以前から、エルトリアの再生計画は暗礁に乗りあげていた。
 数十年前、父と母がまだ幼かった頃は、立派な研究所があったという。
 だが資金と時間を無尽蔵に消費することから、コロニーの世論はだんだんと惑星の再生計画に否定的・消極的になっていった。
 やっとのことで死の星から逃れ、コロニーで安全な生活を手に入れたのだから。エルトリアの再生は諦め、宇宙開発に尽力すべきだという風潮が高まる。
 そんな情勢の中、現地の研究所で事故が起こった。
 当時の研究員はほぼ全員が死亡――ただ、父と母はたまたま研修で研究所を離れていたため、難を逃れたらしい。それ以降、研究所は閉鎖されている。
 しかし皮肉にも研究員の数が激減したことで、予算の目処が立ち、再生計画は規模を縮小しながらも継続が決定。計画に否定的だった世論は、この事故を『悲劇』と嘆き、やがて忘れていった。
 それでも粘り強く研究を続けてこられたのは、父の才能によるところが大きい。
 実際、コロニーの上層部もグランツ=フローリアンを高く評価していた。
 再生計画の中止については、毎年のように議題に上がるものの、グランツ博士を信頼する形で最低限の予算が組みなおされる。
 しかし計画の大黒柱である父が倒れてしまっては、そうもいかない。
 また、数年前まで『最後の街』に住んでいたひとびとが、フローリアン家を案じ、上層部に計画の見直しを掛けあってくれたという。
 アミティエたちにコロニーへ来るように勧める手紙も、一枚や二枚ではなかった。妹のキリエには見せられない。
 父の命を繋ぎ留めている機器の稼動音を聞きながら、母と今後を相談する。
「どうしたの? アミタ。ぼーっとして」
「いえ……すみません。移住の準備について、でしたね」
 上の空ではいけないと、アミティエは気持ちを切り替えた。
「実験のデータや土壌のサンプル……ここでの成果は全部持っていかないといけません。あのひと……お父さんのためにも」
「私も手伝います。あとは……父さんの移送も準備しないと……」
 父親を『大きな荷物』のように扱うことに、抵抗はある。しかし予断を許さない状況が続く中、決断を迷ってはいられなかった。
 母のエレノアが声を落とす。
「キリエにも……そろそろ話さなくてはいけませんね。でも、教会のお友達と頑張ってるみたいですから、聞き入れてくれるかどうか……」
 教会の友達とは人工知能『イリス』のこと。
 疲れきった母に、これ以上の心労を掛けたくはなかった。
「折を見て、私から話します」
 アミティエはそう答え、ぎこちない笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ。あの子なら……きっと、わかってくれますから」 
 妹のキリエも今の状況は理解しているだろう。それこそ、嫌というほどに。
(今夜にでも、ちゃんと話そう。キリエと)
 姉のアミティエは腹を括る。
 ただ、『イリス』のことは気掛かりだった。
 エルトリアを発つ際は、彼女を放っておくわけにもいかない。アミティエにとっては面識がある程度の相手でも、キリエにとっては大切な友人なのだから。
(教会の石碑から離れても平気なら、いいんですけど……)
 できることなら、自分も彼女と親しくなりたい。
 しかしイリスはアミティエを警戒しているようで、はぐらかされるか、避けられるのがパターンだった。
 それでもまだ自分はイリスの顔を見かけるだけ、ましだ。
 両親は一度とさえ彼女の姿を見たことがない。キリエの話に聞くだけだから、『教会のお友達』という言いまわしになる。
 イリスと仲がよいのはキリエだけ。
(あの子と遊ぶようになってから、キリエも随分と変わりましたね)
 キリエの姉として、イリスに少し嫉妬してしまった。
 昔のキリエはお花と本が大好きな女の子だったのに。イリスと出会ってから、どんどん垢抜けてしまい、いわゆる『女子力』においてはとっくに姉を凌駕している。
 洋服の着こなしは姉より上手になり、美容について母にレクチャーする場面も。昔はコンプレックスだったらしい父親譲りのくせっ毛も、巧みなヘアアレンジで化けた。
「家族のほかに誰もいないからって、アミタは頓着がなさすぎるのよ。これくらいは女の嗜みとして、当然なの。ほら、こっち来て」
「ご、ごめんなさい……」
 妹に説教されたのも、初めてのこと。この頃から妹は、アミティエを『お姉ちゃん』ではなく『アミタ』と呼ぶことが多くなった。
 研究にも携わるようになり、よく父と楽しそうに語らっているのを見かける。
 アミティエは少し寂しく思いながらも、そんな妹を見守ってきたつもりだ。キリエの成長を促してくれたイリスには、本当に感謝している。
 しかし父が倒れたことで、家族の団欒も減ってしまった。
 特にこの数日は、ほとんど姿を見ていない。夕飯の席でやっと一緒になっても、素っ気ない態度で一蹴される。
「キリエ、今日はどこに行ってたんですか?」
「別に……どこでもないから」
 おそらく妹は勘付いていた。惑星エルトリアの再生計画は中止、フローリアン家はコロニーへの移住が決まったことを。
 本当はアミティエが話すべきことだった。
 しかし移住の準備で手が離せなかったのに加え――彼女が自分で気持ちに整理をつけてくれればと、心のどこかに浅はかな期待があったのかしれない。
 そして一週間が過ぎた。
 これ以上は移住の件を誤魔化していられない。キリエにすべてを打ち明け、今後のことも相談しなくては。
 ふと母の懸念したものが脳裏をよぎった。
『アミタもキリエも、コロニーで暮らすには戦闘能力が高すぎるんです。コロニーに行っても、しばらくは窮屈な思いをさせるかもしれません』
 安全なコロニーには『死蝕』の影響がなければ、異常進化した怪物もいない。常に危険と隣りあわせだった毎日は、近いうちに『安全』なものとなる。
「コロニーへ移ったら……私も、もうエルトリアの復興を望まなくなるのでしょうか」
 それが怖かった。
 死の星とはいえ、この地で家族とともに過ごした日々。大切な思い出を、いつか自ら否定してしまうのでは――と、アミティエは自問する。
 母は弱々しく笑った。
「お父さんの病気が治ったら、また戻ってきましょう。ね? アミタ」
「はい……」
 その可能性は限りなく低い。
 ゼロに近いのではなく、ゼロだ。
 それ以前に、半年も昏睡を続けている父が、目覚めてくれるだろうか。『死蝕』による重篤から復帰できた話など、聞いたことがない。
 たとえコロニーで最先端の治療を受けたとしても。
 もちろん、そんなことは母にもわかっているはず。それでも『お父さんの病気が治ったら』という最後の願望を、口にせずにいられなかったのだろう。
「続きは明日にしましょうか。アミタも休んでくださいね」
「母さんこそ」
 アミティエは精一杯の笑みを作って、席を立つ。