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魔法少女リリカルなのは Reflection 01

 EC4280――惑星エルトリア。
 広大な宇宙にぽつんと浮かぶその星は、死に瀕していた。大地とともに大気も色褪せてしまい、命の息吹はまったく感じられない。
 地表を覆うのは無限の砂と、瓦礫と。
 かつて高度な文明を謳歌した星は、同時に極端な環境破壊によって蝕まれたという。やがてエルトリアは生命を育めない死の世界と化した。
 ただ幸いなことに、エルトリアの文明レベルは宇宙へと届いていた。
 ひとびとはエルトリアの宙域に『コロニー』を建造。人工の大地を作り、そこで歴史を紡いでいくことにした。
 ひからびたエルトリアの大地から飛び立つ、無数の宇宙船。
 彼らが母星を故郷としながらも、決別するまでに、そう時間は掛からなかった。それほどにエルトリアの『死蝕』は深刻だったのだろう。
 しかしエルトリアの民も、母星の復活を諦めたわけではなかった。
 いつかエルトリアを元の緑溢れる惑星に――そう願い、死の星に残った者もいる。
 フローリアン家はそうした『先駆者』たちの研究所が残した、最後のメンバーだった。現在はグランツ=フローリアンが所長を務め、妻のエレノアが補佐をしている。
 ふたりの娘、アミティエとキリエも両親の愛を受け、健やかに育った。
 たとえコロニーの世論が母星を捨て、安定した宇宙開発へ向いていようとも。コロニーの同志から手厚い支援も届くうちは、諦めるわけにいかなかった。
 ひび割れた大地を歩きながら、長女のアミティエは思う。
 エルトリアの緑を必ず蘇らせてみせる、と――。

 死せる惑星の過酷な環境でも生きられるように、アミティエの身体には人工的な手が加えられていた。身体能力の劇的な強化のみならず、血液とともにナノマシンを循環させることで、フォーミュラ(エルトリア製の武具)との連動を可能としている。
 その力をもってアミティエがなすべきことは、おもに惑星エルトリアの調査だった。
 アミティエのような強化人間でなければ、ベースを離れては一日と持たない。病魔に冒されるか、もしくは異常に進化した怪物に襲われるか。
 人間も動物も住めないはずのエルトリアの環境に、適応してしまった『生物』がいる。それは言葉通りの怪物と化し、狂ったように暴れまわった。
 当然、捕食するような獲物は少ない。エルトリアに残った、わずかな緑を食い荒らし、その排泄物で大地をさらに汚染する。
 それでも過度の飢餓から来る暴食性は満たされず、ついには共食いを始める。彼らの存在はまさに惑星エルトリアが『死んでいる』現実を、アミティエに突きつけた。
 ベースに近づく個体は、先手を打って倒すほかない。それもアミティエの仕事だ。
「この地区もだめですね……」
 土壌開発したはずの南ブロックにて、アミティエは溜息を漏らした。砂除けのローブから頭を出し、すっかり荒れ果てた大地を見渡す。
「父さんが手を加えた時は、上手くいきそうでしたのに」
 風のほかに音のない世界を見ていると、悔しさが込みあげてきた。
 しかし悔しいと思えるうちは、まだいいのかもしれない。これが諦めに変わったら、フローリアン家はおそらく――。
 そのような状況で絶望せずにいられるのは、自分が強化されたからだろうか。そんな卑下が冗談にならないほど、事態は深刻化している。
 砂除けのローブがボロボロなのも、貧しいせいではなかった。
 一家が暮らしていくには充分すぎるほどの物資が、コロニーから届く。しかしエルトリアの環境が過酷すぎて、ローブなどは少し使っただけで変色してしまった。
 南ブロックの大地はとうに乾いて、亀裂が谷ほどに深まっている。
 点在する大きな穴は、問題の怪物が掘り抜いた跡だろう。
「とにかく帰って、母さんに報告……ですね」
 アミティエは踵を返し、研究所とは名ばかりの古びた一軒家へ『帰宅』した。
「お帰りなさい、アミタ」
「ただいまです」
 母のエレノアがコップ一杯の水を持ってきてくれる。強化人間とはいえ、水分の補給や食事は欠かせなかった。
「喉が渇いたでしょう? どうぞ」
「ありがとうございます」
 家族に対してもアミティエは『ですます』とつける。とはいえ、別に遠慮しているわけではない。『姉』として模範的な振る舞いを心掛けたのが、癖になっただけのこと。
 もしくは単に、同じ口調で喋る母親の影響だろう。
 水に口をつけ、ようやく一息。
「ふう……。純度の高い水は美味しいですね」
 コップ一杯の純水でさえ、このエルトリアでは入手に苦労した。今やエルトリアに残っているのがフローリアン家だけだから、かろうじて足りているに過ぎない。
 心配そうに母が娘に問いかける。
「それで……南ブロックの様子はどうでした?」
 アミティエは無言でかぶりを振った。
「そう……」
 このようなことは一度や二度ではない。アミティエがパトロールを始めた頃から、父の努力をもってしても、開発の失敗はよくあることだった。
 けれども今は事情が違う。たったひとつの失敗を、重々しく感じる。
「キリエは?」
「地下のほうでストレージを閲覧してるみたいですよ。調べたいものがあるらしくて」
 妹のキリエも思い詰めている様子だった。
 このエルトリアでの生活は、もう長くはない。その理由を口にするのが辛かった。
「……父さんの様子はどうでしたか?」 
 母のエレノアは苦笑とも微笑とも区別のつかない、疲れた笑みを浮かべる。
「コロニーから送っていただいた新薬を投与して、三日……。一時的に数値もよくなったのですけど……」
「劇的な効果は見込めない……ですか」
 カーテンの向こうでは、父のグランツが無数の機械に囲まれ、眠っていた。どれも生命の維持に欠かせないもので、傍に寄るスペースも限られる。
 しかし傍に寄ったところで、父の死相を直視させられるだけ。母のエレノアもそう思って、このカーテンをつけたのだとしたら――。
「土壌汚染の対策も植物の品種改良も、父さんがいてこそ。やはり私たちだけでは……」
「そうね」
 研究者の母でさえ、父を抜きにしてはエルトリアの復興などままならなかった。ましてやエミティアは生存と戦闘に特化した人間。高度な研究を進められるはずがない。
 エレノアが重い口を開く。
「実は昨日の定時連絡で、コロニーへの移住をお願いしたの。みなさんも、グランツの治療にはそのほうがいいだろうって……住居も用意してくれるとのお話ですし」
「そんな……っ」
 と言いかけ、エミティアは唇を噛んだ。
 母の判断は正しい。父を欠いた今、エルトリアの復興は頓挫したのだから。
 そのうえ父は長らく意識を取り戻せずにいる。顔も身体も痩せ衰え、余命幾許もないことは、誰の目にも明らかだった。
 病気の原因は『死蝕』だ。惑星エルトリアを蝕む病魔が、父を苦しめている。
 一刻も早くコロニーへ移り、治療に専念しなくてはならない。
 たとえエルトリアの復興を諦めることになっても。
「私は……母さんの言う通りにします」 
 せめて正しい判断をした母に味方をしてやること。それだけが、今のアミティエにできる小さな親孝行だった。
 母がアミティエと額を重ね、掠れがちな声で詫びる。
「ごめんなさい……アミティエ。ごめんなさい」
 いつものように『アミタ』と呼んでくれなかったことが、悲しかった。きっと母は娘の自分にまで負い目を感じている。
 このままエルトリアに留まれば、いずれ母も『死蝕』に冒される。
 そうさせないためにも、夢を諦める――決断の時は刻々と迫っていた。
 不意に警報が鳴り響く。
「アラートっ? アミタ、これは……」
「わかっています」
 狼狽する母と対照的に、アミティエは落ち着いていた。
 先ほど調査してきた南のE01ブロックには、怪物の移動した跡が残っている。探知機を設置してみれば、案の定の反応だ。
 妹のキリエが飛び込んでくる。
「この警報音……何があったの? お姉ちゃん!」
 すでにアミティエは戦闘モードに入っていた。
「南のE01ブロックでサンドワームが出現しました。ここから30キロの地点です。今から対処に行ってきますね」
 戦いに行くのだから、無意識のうちに言葉遣いも物々しくなる。
 しかし妹の手前、アミティエは笑みを綻ばせた。
「待って! 私も一緒に……」
「キリエは調べ物の最中なんでしょう? お姉ちゃんは大丈夫です」
 精一杯の笑顔で、妹を安心させる。
「危ないですから、キリエは母さんと一緒にここで待っていてください」
「……わかった」
 アミティエは家から出るや、灰色の空へ飛び去った。

 残されたのは母と、妹のキリエ。
 キリエは歯軋りして、姉の消えた方向を鋭く睨みつけた。
「アミタは私を……子ども扱いするんだ……」