日本の失敗

アメリカから輸入されたと思われる新自由主義。
しかもアメリカのものとは若干異なる独自の新自由主義が日本国内で形を変えて蠢き始めたのを意識しだしたのがいつだったかは覚えていないくらいには前のことだったか。20年くらい前だったかもっと前か。

この国の権力者は財界メディア広告などを抱き込みこれが国の目指すところなのだと発信するのに余念がなかった。人権軽視の選択と集中、効率良い生産性なるものを侍らせられることになると。

役にたつとか自己責任とか、そちらへの発信は抜かりなく、日本の国の空気を醸成して行ったし、現在まで脈々と続いている。

鉄道や郵政などの民営化や、年功序列の終身雇用が悪者のような言説も見られたし、ティーンエイジの時は私も「無能な窓際社員」の存在を上手く言語化できないくらいのささやかな違和感を持っていたのは白状する。

しかし、ヨーロッパに住まい日が経つにつれ、その気持ちを否応なしに転換させられることになる。

これがミラノのアパレル産業みたいなところに身を置いていたら違った見方になっただろうけれど。
あとインドを放浪した時もかなり私の価値観を揺るがせた。

この世界の複雑な蠢き方は並大抵のことではサーフィンできない。

資産家ではない私はもちろん淘汰される側であるから心中穏やかではない。

日本式経営は今思えば悪くなかった。ここに新しい人権意識と多様性を重ねて行けば、かつてない国家の在り方としてなかなか面白い世界観を経済力の維持とともに発信できたろうにと残念でならない。

そうなれば文化も言語も含めた力を、侵略することなく平和的に広めて、さらなる富を産んだだろうに。

この国の権力者や経済界ときたらホント見る目ないんだから。

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