複雑な社会問題を思う

今年の初め(2023/1)に、IBBYのロシア人理事を解任されたとのニュースがロイターから発せられていたのを目にし、ロシアとウクライナという、もはや国境では語れない複雑な歴史を持つ地域に起こるあらゆる「押した引いた」を眺めて何とも言えない暗澹たる気持ちを奥底に抱えつついたら、

中東戦争などという四文字で語れないもう何千年とも振り返られる、火種を常に抱えた「あの地域」から、また23年10月に、心が折れるニュースが飛び込む。そして今11月、disgustingな出来事ばかりだ。

これらは複雑な問題で、何かを断言したり一言で言い表せない。簡単では無い。何しろ自分に直接の影響があることではないから、精一杯に莫大な資料と知識をかき集め寄せ集め、連続した思考を積み重ねる。そして自分の軸足はしっかり地につける、と。

そんなものが無い限りは何も語れないし、かと言って何も語らないのは暴力と同じだから、自分ができる限り手を尽くして、その上で、現在の嘘偽りない考えを、恐る恐る発言する。それしかできない。歴史を遡れば完全悪というものの捉え方に些か迷う時もあり、その時にはなるべく分母を小さくしながら指摘して行くことを心がける。「古代ローマ」ではなく「ネロ」のように。そしてネロも果たして「悪い」のかは実のところ判断ができない。

世界の地図は争い、侵略、強奪、暴力、陵辱の絶え間ない繰り返しであったし、今も続いているし、未来もおそらくその延長なんだろう。

それは、諦観ではないし、ニヒリズムでもない。人間が人間である限り、避けられない命題のようなものだ。争いのない世界があるとしたら、全人類の思考にロックをかけ、昔でいうロボトミー手術を終えた、感情のない人の群れである。争いのない世界は感情のない世界でもある。感情は人間である証拠である。

ということで、ロシアが悪いとかウクライナが悪いとかいう黒か白かの話や、イスラエルとかハマースだとか、今の私には何かを断言することはなかなかハードルが高い。

とは言え、現在ガザ地区で行われていることは、ジェノサイドであり、停戦訴え一択である。ジェノサイドには、徹底的に反対の立場を表明する。

🔸

ふと思う。
大陸を地図帳で眺めれば、国境のラインが引かれている。しかしこのラインは赤ちゃんの細胞分裂のように常に、しかも激しく蠢いて来たし、現在も引かれ続けている。この、誰かがバッサリと引く、または動かし、そして消すラインの真上または際に済む人たちの身の上に起きた出来事には、本当に胸が痛む。そこには権力者の欲望があり、あるいは致し方ないこともあったかもしれないが、とにかく常に線が蠢き変化していくに連れ、苦しめられ負債を負わされるのは常に弱者の側だった。

伝承やフィクションで、擬似体験をするしか術はないが、できるだけそんな人たちに心を寄せていたいと思う。

ふと思う。

日本は過去にはアイヌや琉球王国など、他にも様々な併合があり、そこには数限りない悲劇があったことだろう。合掌するのみである。

そこはまた別として、あのユーラシア大陸の国境線の複雑さを思えば、島国である日本にはある意味シンプルな考え方が可能だ。いや、そんな言い方はならぬよね。朝鮮併合もあったしね。

だから、昭和から、なんなら1945年の後からの日本と位置付けてもよい。
その日本とは、ある意味統治しやすい国の一つではなかったかと思う。

サイズといい、場所といい、人口といい、中華人民共和国のような莫大な人口でもなく、インドのような天候でもなく、言語は統一され、インドやアメリカのような多言語多民族国家でもなく(単一であるとは申していない)、国土も広すぎず、スエズやらシルクロードやら世界の重要度の高いクロスオーバー地点でもなく、極東の忘れられた位置にある。資源もないから侵略されることもそれほどなく、国境ラインを侵すものがない。

この「統治しやすさ」は、日本の権力者にとっては福音であろう。

こんな風に思うと、他国に比して日本政府は楽勝とまでは言わないが、遥かに余裕を持って政務に勤しむことができるとは言えまいか。

その上で、この近年、いや、この数十年の自民党の愚かな政策と弛み切った緊張の糸具合ときたら、どうだ。

現在日本政府の起こしている問題のあまりの単純さに、世界各国との差をヒシヒシと感じるのである。

不条理な事柄に、歯を食いしばりながら、清濁併せ持ちながら、裏切り裏切られながら、それでも政務にあたる。そんな苦心の負担が(あくまで比較的に)少ないのは、統治の上では、明らかなアドバンテージ。

セクハラ、脱税、性犯罪、憲法違反、枚挙にいとまがないが、いずれも身から出た錆である。日々文春砲から疑惑をすっぱ抜かれるだけ。

マイナカード、デジタル庁、こども家庭庁、国立大学法案改訂、論理も合理性も主義主張も、最早それをやりたいという情熱もなしに、ただただ利権だのキックバックだのしがらみだの「相手に利することをしない」だのという立場論だけで口先の政策をしてしまうから、すぐに手詰まりになる。

他国に比して、ニュースの内容があまりにも「自分本位」の物事ばかりだ。自己を律すれば良いだけの話だなんて、あのロシアの近辺や中東の周辺の複雑さを思えば、お気楽過ぎる。

そして、勘違いしてはならぬが、これは日本が平和で統治機構として政治が上手く役目を果たしているという訳ではない。長年の腐敗政治の果てに、日本の戦後の貯金は底をつき、もう、ただならぬところまで来ていると思っている。メディアが伝えないだけだ。私たちは、吉本やジャニーズ(旧)や藤井さんや大谷翔平の笑顔を眺めながら、釜で茹でられ続けて、今、もう釜内の温度は茹る直前。それでも、大谷翔平の笑顔を見続けている。ジャーナリズムが本気を出せば今の日本は、北朝鮮の統治とあまり変わらないことに気づくんだろう。(これを書いている途中、外務省の動画を目にして驚いた。日本の縄文時代は、世界に誇る古代文明だったと。市政の人々が心で思うのとは訳が違うのだ、外務省の発言であるよ。また、国立大学法人法は、強行採決された。国会の体を最早成していない。市民のみなさんは、恐ろしくないのだろうか。安倍晋三氏の国葬も、オリンピックも、大阪万博も、6〜7割の国民が反対していると、それでも強行する、私はとても恐ろしい。どうでしょう?北朝鮮と違うのはどこでしょう?)

こういうことを言うと、日本はそんなに悪くない、外国だってムニャムニャムニャと反論が漏れなく参るが、もちろんその通りで、

稚拙なのは何も日本の政治家だけではない。
どの権力者も、腐り腐臭加減は似たり寄ったりである。間違いない。人類史上、有能な権力者なんて、いたのか分からないほどである。ローマの五賢帝だって、万能じゃない。

ただ、日本の現在のお偉いさんたちの阿呆加減は、底を抜けている。(反論ある方、ぜひ、私の勉強不足を補ってほしい)

日本の統治者の無能は、即ち市民の無能さでもある。私は中曽根も小泉純一郎も森喜朗も麻生太郎も安倍晋三も菅義偉も岸田文雄も選んだ覚えはないし、とにかく政治家三世四世の、鎖で手足を縛られた阿保に統治される恐ろしさを訴え続けて来たが、私もまた、無能な市民の1人でしかない。
古代ギリシアの誰かが言うように「民主主義とは人間の生み出した最も愚かな政体」であると、しかし現在の中ではマシな政体であるというこのパラドックスと、常に戦いながら日々愚痴り続ける。

人間の底なしの愚かさを嘆き。
同時に、現在まだ現れていないが、民主主義よりもさらによい政体が、きっと作り出せるという人間への希望とを、失わない。諦めない。
子どもたちのために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?