human rightsについて、いささか齟齬がありそうである。
人権にも段階があり、権利の幅は次第に拡大して来た。現在の世界人権宣言に悖る国際人権の考え方は今のところ私的には最高法規として足りているが、この後の未来も蠢き形を変えていくことだろう。
その国際人権と日本で風潮として受け止められている人権とで、齟齬がありそうだ。
頂き女子リリちゃんの件が最近気になっている。
世界共通の人権意識が例え白い人たちの頭の中で形成されたお花畑意識だとしても、現在のところ私は賛成である。
人が生まれながらにして持つ権利である。
頂き女子リリちゃんの件で、多様性なき司法からくる判例の少なさ、国際基準とかけ離れる日本の姿、裁判官の思考の浅さや女性差別など、注視すべき点が山ほどあるニュースではあるが、
ここで一つ違和感を持ったのは、被害男性の言であった。
男性が4,000万ほど貢いだそのお金を全額返して償ってほしいとのこと。
これには驚く。
リリちゃんの人権を丸無視した発言であるからだ。
オレオレ詐欺や振り込め詐欺とは違って、男性はリリちゃんと恋人だと感じるだけの時間と行為と営みがあった。
詐欺はもちろん犯罪として裁かれるべきだが、一方的にお金を騙し取られた詐欺と違い、リリちゃんは自らの時間をある程度男性に使った。この費やした時間は事実である。
被害者男性は、全額返還してほしいと。それはつまり、リリちゃんが彼のために費やした時間すらも亡きことにしようとしているということだ。
これは日本政府や産業経済界の方々が隠しもしない「人権軽視の姿勢」が与えた国民への影響そのものではないかと、空恐ろしくなった。
人が費やした時間を軽視する誤った新自由主義の浸透、これは紛れもなく政府の仕業である。
日々国会を眺めていると感じる。
この国は人材育成の視点が欠けている。
そして人権について国連でコンセンサスを(形だけでも)得ている感覚とかけ離れている。
その場をとりあえず収めること、自らのインセンティブを得ることに必死すぎて、その軽く考えた思いつきのような政策が10年後、どんな影響をもたらすのかを考えない。(ように見える)
長期的まで行かない、中期的視点すら欠如しているから、役に立つとか稼げるとかそんな小さなことに振り回されて、大切なことを見失っている。
人を大切にしない国は退廃する。
ちなみに大切にされていないのは市民だ。
声をあげないと。
この国の権力者の目指すのはとどのつまり「貧しい軍事国家」なのである。