忘れられた俳句に追悼を。忘れられた人に葬送を。
俳句、楽しいですか? 良かったですね。
私の周りにはかつて、大体100人くらいの俳人がいました。上は5つくらい、下は2つくらいの歳の範囲で、みんな楽しそうに俳句を語り合って、公募で競い合って、句会で選評を投げ合っていたと覚えています。
でも、その時の生き残りはほんの数人。岩田奎くんと小林の鳩ちゃん、一応で(実質的な面識が薄いため一応)茜崎楓歌さんがいますか。あと何人かちらほら名前が見受けられますが、大半は消え去りました。
仕方のないことですよ。誰も悪くないし、敢えて言うなら俳句とそれを取り巻く環境が悪い。仕方ないんだけど、分かってはいても、寂しいじゃないですか。
そんなわけで墓荒らしに来ました!!!! かれこれ10年近く前、私の目をきらっきらと輝かせてくれた人たちを、その俳句を振り返りましょう!!!!!!!! ついでに私の句も見て行ってよね!!!!
0、そもそも私は誰?
そう、ここからなんですよね。俳句甲子園関連のツイートしてたら現役の子とかからフォローされることがあるのですが、もう完全に亡霊なので、自己紹介から始めないといけませんよね。
俳号はひだか命樹。17歳です。
主に第18回の俳句甲子園に出場して、今は亡き俳バトを創設。ちっちゃな賞だけ何個かもらった。
基本的にはTwitterだけで生きてたので、結社とかも縁がない。興味なかった。Twitter上に存在した句会(浦添高校の俳句会、ゲリラ句会、せつない句会など)には割と参加してた。
ライト層ってやつですね。おしまい。
1、俳句を語る? 人を語る。
はい! ここから本題!!!!
都度句を取り上げて、その句に関するエピソードなどを語っていきます。
もう誰も覚えてない句とかもいっぱいあるし、後世に残るような名句なんかじゃないとしても、当時の私には確かに光っていた句たちだから、好きな句があったらせめて覚えていってほしいです。
1-1、流れ星君は泣いても良いんだよ / T先輩
私が人生で最初に見た"俳句"です。高校一年生、入学したばかりの頃、うちの文芸部の先輩がこの句で何かを受賞したらしいと聞きました。
当時は和歌と俳句の違いさえ知らず、「この句にはどういう技巧があるんだろう」なんて、とんと見当外れなことを思っていました。
それから一年間、私の中で和歌と俳句の区別はつきませんでした。
二年生になって俳句甲子園のメンバーとして全国に出ることになって、「折角だから俳句のこと勉強するか」って思うまで、この句の良さも綺麗さも理解できませんでしたね。
1-2、君はいま大粒の雹、君を抱く / 坪内稔典
丁度そのお勉強の時にTwitterで知り合った先輩がいました。下楠絵里さんです。当時心から憧れた人で、目標そのものでした。
その人が話の中でちょっと一瞬触れた句ですが、句自体の切なさに加えて「読点なんか使って良いんだ??」という驚きもあって印象に残りました。
1-3、蘭語辞書閉ぢて葉月の家へ来よ / 堀下翔
堀下さんにはずっとずっとお世話になりました。お勉強の時に色んな句を見せてくださった上に、同年末には『煩悩句会』という108句連作句会に誘ってくださって、俳バト創設時に運営に関するアドバイスをくださり、句集『しばかぶれ』の刊行時には私の俳バトを活用してくださって……
私の俳句生活の全てに"居た"のではないですか……? という堀下さんが、私のサイン帳に書いてくれた句です。
もう俳壇にはいないと聞いていますが、この句のことはずっと覚えています。どうかお元気でいてください。
1-4、月代や水葬といふ愛し方 / 坂入菜月
この句は私のその後の句に多大な影響を与えたと言いますか、「私が求めていたものはこれだ! 私が作りたいものはこれだ!!」と思わせてくれた最初の句です。
本当に影響を強く受けていて、この辺の句にちょっと影が見えます。
初春や愛とは塩のひとつまみ / ひだか命樹
余談ですが、後に私の師匠となるのが、当時彼女と交際していた寺田人さんです。俳号を与えてくれたのも彼です。
師として私の俳句を見てくれた寺田人さんと、私に俳句の理想を見せてくれた坂入菜月さん。この二人がそれぞれ幸せに暮らしていることを願います。
1-5、切れ字とは露一粒の厚みとも / 能村登四郎
この句について語る前に、葛城蓮士さんについて。
後に『十代句会』『ゲリラ句会』の運営をしていた方で、私がお勉強をしようと思い立った際に『くかいぷち』というSkype句会を案内してくださった方です。
私にとっては俳句の始まりの人ですね!! 『くかいぷち』を通して下楠絵里さん、寺田人さん、かんのさちさんなど、様々な人と出会いました。
そんな葛城蓮士さんが、話の中でふと触れた句です。俳句甲子園の兼題に「露」があったから触れたのでしょうが、私としてはこの句における『とも』という弱い詠嘆が非常に印象的でした。
ひまはりは星の終はりの重さとも / ひだか命樹
でそのままお借りしました。「かな」のような強い詠嘆では通せない場面で、その後もしばしば使うことになります。
1-6、長き夜の火星の水のことなどを / 東影喜子
1-5と合わせて、この句が私に「余韻」を教えてくれました。俳句という音数に限りのある世界で、最も"ずるい"手法はこれに違いないと思わせられましたね。
朧夜の心音二拍あることを / ひだか命樹
そろそろ他人の句を盗作気味に生きてきただけの人間だとバレてしまいそうですが、この句は言うまでもないですね。
1-7、石村まいの俳句
これについては一句では語れないなと思ったので。
かつて、深夜の真剣即詠5本勝負(https://x.com/sokugintaikai)というものがありました。
唐突に出される5つのお題について、5~10分で即詠する遊びです。
この遊びに本気で付き合ってくれたのが、今は短歌で活躍する石村まいさんです。
10分で5句を詠み切った上で、お互いの句に点数を付けてより点数の高い方が勝ち、という簡単なルールで。
彼女は、俳句に芸術性を求めていたと思います。ただの写生、事実の描写では足りない。物語を俳句として出力していたという印象があります。
例えばテーマ題「なくした物」の回では
押花の裏へ小春を書きつける / 石村まい
欠落のうで折り畳む流れ星 / ひだか命樹
のような句が並びました。この時の感性を保っているのなら短歌に移ったことも不思議ではありませんね。
私としては、俳句という舞台で物語を描こうとしている彼女が、とても綺麗に映りました。
(閑話)
ただし、当時の私が描いていたのは基本的に幻想でした。または言葉遊びでした。意図的に助詞をズラしたり、言葉と言葉の紐づきを敢えて崩したり、ある意味実験的なことばかり繰り返していました。
poecriという詩歌の投稿サイト(すぐに潰れた)のオープン記念の公募では、例えばこんな句を出しました(5/10句)。
蝶の背に灰をこぼせる輪廻かな
去り際が孤独な菫ならば摘む
盲目の金魚をさらふ絵本かな
流刑地に来て花守と目を交はす
後続の烏を妬いて春の雨
これに結構お怒りの声があって、大変だったことを覚えています。
Nという方から、「君は結社に入って写生をするべきだ。俳句をちゃんとやれ」と苦言を呈されたことをよく覚えています。
俳句を"ちゃんと"やるって何なんだろうなって、私には分かりませんでした。
時間は飛びますが、青本さんが書かれていた『俳句を辞めた理由』の前半部分が、私にはよく分かりました。ここまで難しいことを考えた覚えはありませんが、根本的に同じことを思って、試して、俳句では無理だなと思った気がします。
私の敬愛するへりうむちゃんも言っていましたが、俳句は結局のところ創作ではない。それを求めてはいけなかったんだろうなって、思います。
1-8、旅いつも雲に抜かれて大花野 / 岩田奎
岩田奎くん。Twitterの句会でちょこちょこ一緒に遊んで、たまに私の句に対して直接コメントくれたの覚えてます。
4分33秒月は幾度も隠れけり / ひだか命樹
前髪を切つて死蝉ばかりなり / ひだか命樹
この辺りの句に対して、「これ良いですね」って言いに来てくれたのよく覚えてます。
poecriの時も、結局彼が最優秀取っていったものの、私も私で彼と同じだけの選を貰っていて、なんとなくライバル意識みたいなものはありました。
そんな彼が俳句甲子園で最優秀を取るのは不思議ではないというか、当然だと思っていたので、この句を見た時は「やっぱりなあ」という気持ちでいっぱいでした。
まあ、私は俳句やめちゃいましたけど。彼に勝手に全部託してるので、私の夢だったものも引き摺っていってください。
2、あなたにとっての俳句って何ですか
靴下の片方行方不明春 / 金城果音
俳句をやめても、たまには詠んでます。
毎年、彼女の誕生日にだけは、彼女を想って俳句を詠んでいます。
これを書くためにこのnote書いたと言っても間違いではないですが、体裁のために良い感じに締めますね。
かれこれ10年が経過して、ほとんどの人が俳句から離れました。あなたもきっと離れることでしょう。
私にとっての俳句は、色んな人の形見です。かつて肩を並べたすべての人が魅力的でした。もしあなたが俳句を続ける側の人なら、離れてしまった人のことを、たまには思い出してあげてください。
まだ俳句を続けてるかつてのお友達の皆さん、これからも応援してます。
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