見出し画像

私がフォントを作り始めるまでのお話。

初めまして。患者長ひっくといいます。
ドット絵の手法で文字を作り、フォントの形式にした「ピクセルフォント」を製作・配布しています。

この記事では自己紹介として、なぜ私がこのような活動をするようになったのか?ということを1990年代から5年ごとに振り返ってみたいと思います。



1990|スーパーファミコンの子供


スーパーファミコンはまさに黄金時代を築いていました。
多くの子供たちと同様にこれを与えられた私は、スーパーファミコンソフトと共に育つことになります。

とても素晴らしいゲームハードでしたが、まだソフト容量の制約は大きく。グラフィックやサウンドで表現し切ることができない情報は、文字の情報で補っているという面も大いにありました。

「メタルマックス2 (©1993 データイースト)必勝攻略法」(双葉社)より
漢字がとても大きく、見た目にもインパクトあるセリフ回しが展開される

セリフ、回想シーン、装備品の名前、増えるステータス。

想像力を掻き立てる文字の情報
たちに、私は夢中になっていきました。
それぞれのゲームやメーカーで独自の文字が使われていることが多く、文字の雰囲気やサイズも千差万別。漢字の量なども急激に進化していくことに、興味を惹かれていったのでした。



1995|パーソナルコンピュータの部室


学校はパソコンに初めて触れる機会でした。
この頃ツクール95シリーズに出会い、多くのゲームのグラフィックがドット絵で作られていること、それを自分で作ることができることを知ります。

そしてパソコン室の片隅にあった、数台だけ残されたPC-98大量のフロッピーディスク。その中には、PC雑誌などを元に作ったと思われる自作・半自作のゲームが収められていました。

3.5インチフロッピーディスク

「お湯」と書かれたディスクの中は、お湯を発射するネコめいた生物を操る謎のゲーム。精緻なモノクロのグラフィックで、ひたすら爆撃機を飛ばし、爆弾を落とすゲーム。何種類もの「砦の攻防」で弾道を描き続けました。

ゲームはこんなにも個性的で、何にも縛られず、自由でいい。

ということを知り、強い衝撃を受けることになります。
思えばこれが、後にインディーゲームと呼ばれるジャンルとの最初の出会いだったのかもしれません。



2000|インターネットの奔流


家庭にもパソコン、インターネットが急速に普及していきました。
テキストを使って図形や絵を描く「アスキーアート」に出会います。

興味本位でアスキーアートを作り始めた中で、フォントには大量の文字や図形が収められていることを実体験していくことに。

「旦」という1文字の漢字も、アスキーアートでは「お茶」になる
「 つ旦˜ 」とすれば、温かいお茶を差し出している様子を表現できる

このアスキーアートとの出会いによって、私の中で、捉え方がバラバラだった「ドット絵」「文字」「フォント」が混ざり合い、ひとつのものに融合することになりました。



2005|RPGツクールの文化


アスキーアートの世界から派生し「RPGツクール2000」に出会います。
巨大掲示板群や個人サイトなどで盛んに創作が行われ、多くの名作・怪作がインターネット上で生まれていました。

私が最も興味を持ったのはシステムグラフィック素材でした。ツクール2000ではこの画像を変更することで、メッセージウィンドウの雰囲気を、簡単にガラリと変えることができたのです。

初めて作ったシステムグラフィック
グリーンの文字が光る電子機器のようなUIになる

システムグラフィックへの興味をきっかけに、RPGツクール2000の素材各種を製作するように。素材を配布するWebサイトも作り、RPGツクールの文化へ親しむことになりました。

アスキーアートキャラを用いたツクールRPGの名作「Little, Big」より
ファミコン風のマップチップ原型には配布していた素材が採用された

この頃に「フォントも作りたい!」と願い、文字の製作も試行錯誤。
しかし当時のRPGツクールにフォントを変更する機能がなかったことに加えて、技術的に自分自身でフォントにすることができなかったことから、この願いとデータは長い眠りにつくことになります。



2010|オンラインゲームの人生


やがてツクールの主流は2000・2003から、XPの世代へ移行していきました。

私は「コズミックブレイク」というオンライン対戦ゲームにハマることになります。ひたすらに戦い続け、合計プレイ期間は10年以上。20000時間以上の時を過ごしました。

あまりにも酷使されたWASDキー

操作するロボットを自由に組み替え、自由なカスタムやカラーリングで戦えるだけでなく、パーツのテクスチャもドット絵で描くことができる「スキンエディット」の魅力は強烈でした。

ゲームにハマった10数年、ゲーム素材製作を軸とした創作からは離れることになりましたが、スキンエディットとの出会いによって、ドット絵や文字を打つノウハウを新たに会得しながら、維持し続けることができたのでした。

コズミックブレイク(©2008- CyberStep) におけるスキンエディット
パーソナルナンバーとして「19」を自分の機体にペイントしていた



2015|インディゲームの世界


「コズミックブレイク」はその創造性の高さからなのか、ゲーム内に多くのクリエイターが在籍し、巣立っていくオンラインゲームでもありました。

ここでの友人の1人が「ゆめにっき派生」の製作者であったことをきっかけに、私は再び、インディーゲームの世界へ飛び込んでいくことになります。

ゆめにっき派生作品「withers」より  極めて精緻な構造と色のドット絵マップが特徴
RPGツクール2000で作られたゲームとの再会、更にゲーム製作者さんとの出会いとなった


この頃からツイッターにドット絵や文字を投稿するようになっていきます。そんな中で思いがけず、大きな反響を得ることがありました。

レトロゲーム風フォント「ザ・ストロングゲーマー」初期案

これをフォント化してみたい…というツイートに多くの応援をいただいたことで、「フォントを自分で作りたい」という眠らせていた願いが、再び動き出すことになります。



2020|ピクセルフォントへの挑戦


念願であったフォント製作に成功した私は「ゼロピクセルフリーフォント」というサイトを立ち上げ、フリーフォントとして配布し始めました。

いくつかのインディゲームにフォントが採用されるようになり、デビュー作品として世界へ大きく羽ばたいていく作者さんを見送ることもできました。


私自身はいくつかの小規模なフォントを製作しノウハウを集めた後、ついに数千文字の漢字を含んだ日本語フォントの製作に着手することになります。

ピクセルフォント「マルモニカ」
「柔らかさ」と「シリアスさ」を併せ持ち、ピクセルが形作る曲線美を追求した

「マルモニカ」製作は約2年半に及びましたが、なんとかリリースに至り、多くのゲームや翻訳用途などで活用していただけるフォントとなりました。


そしてマルモニカに続き、もうひとつの日本語フォントを2年かけ製作。

ピクセルフォント「マルミーニャ」
かわいらしい中にもしっかりと真面目さがある、汎用性の高い丸ゴシック体を目指した

2023年7月に「マルミーニャ」をリリース、現在に至ることになります。



おわりに


本職のデザイナーやゲーム制作関係者でない私ですが、
ゲームやドット絵、フォントのことを長く愛してきました。

このようなバックボーンを持った作者、フォントたちであるということを、少し知っていただくことができたのなら嬉しいです。

これからも良いピクセルフォントを提供していきたいと思っています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

患者長ひっく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?