缶コーヒー

缶コーヒーが他の形態のコーヒーよりも優れているところは、人に投げつけられるところです。
病院のベッドの上から動けない父は、僕に自動販売機の缶コーヒーを買って来させ、手渡されてから僕の頭に向かって缶コーヒーを投げつけた。
病気の身の上でも、砂糖と牛乳もどきの粉が山程入った、もはや毒でしかないコーヒーをせがむもんなんだな、やっぱりこの人は低俗だなと思っていた。
いつも父は僕の想像の斜め上をいく。
むしろ、僕の想像力が足りていないのかもしれない。
たぶん生まれてからこのかた、ずっと想像力が足りてない。
父親が早く死ぬことしか願っていない。
願っているだけで考えてはいないから、状況が変わった試しはない。
状況が続くことで被る不利益や、振り払えた火の粉を考えて避けれたことがなく、ただただ受け続けただけだ。
仕事で出来ることが、どうして出来ないんだろう。
父は「拾え」と言った。
僕は拾って渡した。
父はそれを飲んだ。
僕は帰路の途中、コーヒーショップでコーヒーを頼んで、店内のソファに座った。
2時間半くらい、そこから動けなかった。
せめて一口飲もうと口にしたそのコーヒーも、毒でしかなかった。

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