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「後世に伝えるのは責務」 片岡健治さん

有事も平時の生活考え


 東松島市小野の新道町内会自治会長の片岡健治さん(76)は、牛網地区にあるガソリンスタンドで給油補助のアルバイト中に東日本大震災に遭遇した。「経験のない揺れ。渦巻く黒い波。被災後の避難所運営でとにかく必死に日々を生きた」と振り返る。

 自宅を確認したが大きな被害はなく、再びスタンドに戻った片岡さん。「津波がくる」との情報を受け、スタッフ3人と保守点検用のハシゴでスタンドの屋根に急いで登った。航空自衛隊松島基地の滑走路から真っ黒い波が猛スピードで迫り、スタンドまで到達。給油機が見えなくなり、渦を巻きながら車を四方へと流した。

当時を振り返る片岡さん

 「あまりの揺れでも次に津波がくるとは考えられなかった。過去のチリ地震津波でも小野地区は被害がなく、津波について地域内で語り継がれていなかったことも大きい」と振り返った。

 翌日、自治体のバスで大塩市民センターへ一時避難後、知人に乗せられ、小野小学校(現・ウェルネス高校)へと移動した。自宅は床下浸水で周囲には床上まで漬かる家屋も。浜市地区のポンプ場が被災したため、3週間水が引かなかった。

 片岡さんは自治会長として鳴瀬庁舎内の避難所で責任者を務め、200人近い被災者をサポートした。困ったのはトイレ問題。断水に伴い、用水路からバケツリレーで水をくみ、庁舎内のトイレのタンクに継ぎ足し。小便は流さず、大便は流す対応をとった。

 トイレ問題はどこも同じ。「若い女性などはトイレを心配し、なるべく飲まない、食べないというケースも。仮設トイレがきても衛生面、防犯面で不安を感じる人が多かった」という。

 能登半島地震でお笑い芸人のサンドウィッチマンが洋式トイレの支援を行ったが、「災害時には絶対必要。地域では現在、小学校高学年くらいからマンホールトイレ設置体験の機会を設けている。有事に少しでも余計なストレスを溜めないための大事な備え」と語る。

自治会ビブスを着て避難所運営した

 当時の避難所運営も、振り返ると反省は多い。「有事・異常時だから〝雑魚寝はしょうがない〟〝プライバシーなんてないだろう〟という感覚を持っていた。今考えるととんでもない話。あの震災で、当たり前でなくなった日常生活で、いかに当たり前に近づけるかが避難者の生活や心のケアには大事だと教訓を得た。間仕切り、個室テント、段ボールベッド。当時の反省から防災品もどんどん良くなってきている」と備蓄品の変化を語る。

 発災から13年。「能登半島地震もそうだが、自然災害はどういう形で起こるかわからない。ここで起こったことを後世に伝えていくのは、生きている人たちの責務だと思う」と片岡さん。

 「自然災害は何も津波だけではない。河川の氾濫や土砂崩れ、大雨とさまざまだが、日頃から備えておくことが大事。訓練して反省点を見つけて、改善していく。その積み重ねが有事の助けになると思っている」と話していた。【横井康彦】

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