見出し画像

「守るべきはまず自分の命」 小海途玖実さん

津波で親友2人が犠牲

 女川中学校の音楽教師、小海途玖実さんは女川町出身。発災当時は浦宿浜にあった女川第一小学校(現在は閉校)の5年生だった。家族は無事だったが、同級生2人を津波で亡くした。「教え子たちにつらい思いはさせたくない」。震災を知らない世代に出来事を伝え、命の尊さを訴える。

 13年前、図書委員会活動で友人と図書室にいた時、激しい揺れに襲われた。本棚が次々と倒れ、教員がすぐ校庭に避難するよう児童に指示した。「恐怖に手が震え、なかなか外靴が履けなかったことを覚えている」。

 ほどなくして雪が降り、防災無線が大津波警報を伝えたため、校庭にとどまっていた児童と住民は校舎や体育館に避難。小海途さんは教室で妹と一夜を明かした。気がかりは家族の安否。父は町職員で母は保育士、兄は女川中の生徒。余震におびえる妹をなだめつつ両親の迎えをひたすら待った。

母校の音楽教師になるという夢をかなえた小海途さん

 数日後に迎えに来た母親と再会し、発災後初めて町の中心部に赴いた。「これほどの惨状とは思わず、まるで知らない町に来たような感覚。慣れ親しんだ景色はそこにはない。虚無感というか、呆気にとられ言葉にならなかった」。犠牲になった2人の同級生とは一緒に下校し、遊んだ仲。うち1人は今も行方が分からない。

 小海途さんの青春時代は女川町の復旧復興と重なった。「つらいことや不便なことも少なくなかったが、それと同じくらい人の優しさに触れながら過ごした」と語った。

 発災間もない頃、男性ボーカルグループが復興支援で女川一小を訪れ、ミニライブを催した。心に染み入る歌声に「元気をもらった」と小海途さん。もともと好きだった音楽がさらに好きになり、いつしか音楽教師になることが目標となった。そしておととし、中学校の音楽教師となり、女川中に赴任。夢をかなえた。

発災当時は女川第一小の5年生で、校舎に避難した

 小海途さんは「大変なことでも周りには助けてくれる人がたくさんいる。生徒も皆かわいく、心が温かくて大好き」と笑顔。「たくさんの人の優しさに支えられ、育ててもらったからこそ今の私がいる。だからどんな時も優しさを持ち、誰かを支えられる人間でありたい」と話していた。

 今の願いは一つ。誰一人欠くことなく、教え子たちが学びやを巣立つこと。そのためにも「いつ起こるか分からない自然災害への備えと心構えが重要」と説く。

 「災害時に守るべきはまず『自分の命』。皆が自分の意思でそれぞれ適切に避難することが何より大事。子どもたちにはその重要性を伝え続けたい」。優しい眼差しは、次代を担う古里の子どもたちに向けられていた。
【山口紘史】

最後まで記事をお読みいただき、ありがとうございました。皆様から頂くサポートは、さらなる有益なコンテンツの作成に役立たせていきます。引き続き、石巻日日新聞社のコンテンツをお楽しみください。