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「大切なのは“終わらせる”こと」~WEBラジオくるみの日々酒、第十二夜~

皆様こんばんは、KURUMIです。

毎月第2、第4金曜日の夜21:00にyoutubeと、ここnoteにて同時更新中
WEBラジオ「くるみの日々酒」今夜で12回目の更新です。

お酒を飲みながら日々感じたことをぼやきつつ
毎回1曲、私の今聞いてほしい曲を選曲して
その曲の何が好きなのかを熱く愛情込めて語ったりしています。

今夜はRaujika(ラウジカ)のアルバムLost ImaginationからGrim(グリム)をセレクト。
この曲について熱を込めて語っている部分は、YouTube「くるみの日々酒radio」後半のコーナー「この曲を聴いてくれ」で聞けるので、音楽好きの同志は聞いてくれたら嬉しいです。



「前回のくるみの日々酒」

前回は
家族とではなく、友達とではなく、
なぜあえて「ひとり」で飲みに行く日を作るのか。

ということについて持論を展開しました。
これはきっと飲みに行く人の数だけ、違う答えがあるような気がしますね。

1人の気まずさや、ドキドキや、ちょっぴりの恐怖を超えた先に待っている
何物にも代えがたい「特別な夜」を一度でも経験した人は
きっとまた、ひとり飲みに挑戦したくなる。

そういう夜に出会えたか、そうじゃないかによって
この先の自分の飲み方が大きく変わってくるし、下手したら人生観までひっくり返されてしまった人もいるかもしれない。

私も実は後者です。
BARでひとりで飲んだ経験が重なってゆくにつれ、それまで見えていた世界がひっくりかえされてしまった私は、その影響をもろに受けながらその後いろんなものを選択して、今に至るのです。

まあ何が言いたいかって結局、BARは最高!ってお話ですね。

「私が1人でBARに行く理由」~WEBラジオくるみの日々酒、第十一夜~


「完璧なものを探し追及するうちに、出口を見失う」


私はとにかく「終われない人」である。

唐突になんだという感じですが、
私のいくつかある悪癖の中のひとつが「終われないこと」

困ったことに興味の幅はおそろしく広いので

やりたいことをみつけるのも、
それを手に入れるために行動を開始するのも早いのだけど

やり始めたが最後、迷路に迷い込み気づけば出口を見失い
途中でその迷路をあきらめて放り投げてしまうのです。


たとえば「イラストを描こう」と思い立ったとする。

やろうと決めたらどんどんワクワクしてくるし
イラストの世界はキラキラと輝いてみえて
自分を待っているかのように思える。

でもいざスタートラインに立ってみると、世界はとたんに表情を変える。
自分の考えの浅はかさと、自分自身のレベルの低さを思い知ることになる。

「なんて下手な絵だろう」

どこの世界にもひと握りの天才は必ず存在するし、
限りなくその天才に近い

「努力をする天才」
「探求心がずば抜けた目のいい天才」
「無骨にやり続けることができる精神力の天才」

といった具合に
様々な形の天才がそこにはひしめき合っている。

当然といえば当然である。
自分はまだその世界の端っこに立ってみただけの存在だ。

ずっと昔からその世界の中で足掻き、努力し、己を磨き上げている人たちと比べる方が逆に失礼である。


そんなことはわかっている、
わかっていたとしてもやっぱり。
その果てしなく遠くみえるゴールに軽く絶望してしまう。


そこから自分もワクワク感だけを栄養分にして試行錯誤の沼を歩く。

けど進めど進めどゴールは全くみえそうにない。
作っても作っても、描いても書いても、まったく外に出したいと思えるものにならない。

次第に「ワクワク感」という栄養分が枯渇してくる。

それでも知識だけはついてきて、どれが素晴らしい作品なのかわかる「目」の成長だけはすごいスピードで進化していく。

自分自身が作り出す作品と、自分で脳みそに設置した「完成図」との距離がやればやるほど遠くなっていく。

「こういう風にしたい」という理想の完成図のレベルだけがどんどんあがっていくので、自分が実際に手元でつくっているものがおいてけぼりになってしまって追いつけない。


そしてゴールはすごいスピードで遠く先に行ってしまい
私は道に迷い途方にくれる。


絵を描くことはあくまでも一例で、全てのことに言える。
何かを作り出そうとか、挑戦しようとか、
新しいことを始めた時とか、

多分結構なんにでも当てはまる。



しかも一度終わらせられないことに慣れてしまうと
投げ出すクセがついてしまう。

やりかけては、途中でやめて。
また新しいことを始めては、やめて。

もうゴールを探すことすらしなくなってしまったら、それこそ終わりだ。
いろんな意味で。


「未完成でも中途半端でもかっこ悪くても、歩いてきた道自体が立派な作品だ」


多分「完璧」を求めすぎているのだろうな
あとは「カッコ悪いと思われたくない」

この2点が「終わらせられない」ことの原因を作っている気がする。

人と比べ、ほかの人が作っている作品に驚嘆し、
刺激を受けて切磋琢磨するのは何も悪いことではない。

問題なのはいつも途中で投げ出してしまうせいで、
圧倒的に自分の作ったものの「アウトプット」が足りないことだと思っている。

今までは、自分がただワクワクを糧にジグザグに歩いてきた道、
それ自体には何の価値も見いだせなかったけど
多分それは違う気がする。

どんなものであれ唯一無二なことに変わりはない。
同じ人間がひとりとしていないように
自分が作ってきたものもまた、ほかの人とは違う何かだ。

でもそれは途中でやめて、外に出すのをあきらめてしまったら「無」でしかない。

終わらせるってことは、
外に作ったものを出すことでもあり、それを評価されるということでもある。

つまり私は怖いのだ。
こんな未熟なものを外に出し、これが私の作品だといった後の
外の世界の反応が怖いのだ。

自分の思う完璧とは程遠いその過程でしかない「何か」を
評価されるなんてとんでもない。ダメに決まってる。


それがわかりきっていたとしても
「無」よりはいい。

ねえ、絶対そうだよね。

私の中にいれっぱなしにしてそのまま死ぬ作品より
不格好でもかっこ悪くても未熟でも

私の外に出て、外の空気にふれ、私じゃない誰かが触れてくれたとしたら
それはもう私の中にあったものとは違う形になっている気がする。


自分の中で完成じゃないものでも、

自分の内側で殺すよりは、多少の傷を背負う覚悟で外の世界に出してみた方が、またその先に何かを繋げてくれるのではないだろうか。


「終わらせる勇気」


つまり終わらせるためには勇気がある程度必要なのだろう。
あと忍耐。ほんの少しの踏ん張れる力。

未熟だと思っているものを外に出すためには勇気がいる。

未完成だと思っているものを「終わらせる」ためには忍耐がいる。


ここまで書いておいてあれなのですが
いまだに私はまだ「終わらせられない人」である。

全然変わってない。
だけど、変えたくて。

実は、このWEBラジオ、そしてこのnoteの更新を続けているのも
「終わらせる訓練」のひとつでもあるのです。
更新するたびに迷う。今この瞬間も迷っている。

こんなしょうもない文章を世の中に出してもいいのだろうか。

こんな未完成な独り言、更新することに何の意味があるのだろうか。

まともにちゃんと喋ることができていない、
活舌も悪い、手作りラジオ番組。


おそろしく独りよがりなこの作品を更新しても、もしかしたら
ただ私の言葉で不愉快な思いをする人を増やすだけかもしれない。


考え始めたらキリがない。
それでも変えてゆきたい、この悪癖。

未完成な私でも、まだ何かを作っている過程だったとしても、
私の中だけで眠らせ、そのまま言葉を殺してしまうのはもうやめよう。

作ったものを外に出すことを続けてみよう。

結果的にそうした方が多分、私のためにもなる気がする。
というかそうであったら嬉しい。


この「くるみの日々酒」を更新し続けることができたなら
私の悪癖も少しはマシになるだろうか。

どこかそんな願いもこめて、今夜文章を綴りました。


ということで、次回更新日は5/14(金)21:00
またここで乾杯できたら嬉しいです。


Podcastでもくるみの日々酒が聞けるようになりました。
下にリンク載せておくので、聞きやすい媒体で聞いてみてくださいね。

それでは皆様、よい夜を。

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