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連綿と受け継がれていく

特別な来客や何かのお祝いの際に、必ずと言っていいほど食卓に並ぶ料理。
我が家でそれは、『錦卵』と『もち米焼売』でした。
どちらも母のスペシャリテ。ハレの日の料理。
どちらもいまだに外で食べたことがありません。(たまたまなのかも)

先日久しぶりに帰省した際、
「久しぶりにあれが食べたいんだけど、次に帰ってくる時一緒に作ろうよ。作り方教えて。」
と言ったところ、レシピ本が並ぶ棚をガサゴソと探し始めた母。
「お母さんもしばらくつくってないけど、レシピがとってあるはずだから…」
そう言って本を開いては閉じを繰り返し、結局見つからなかったというお話なのですが、実は探す過程でそれ以上に貴重なものが発掘されたのです。

古い古い黄ばんだ一冊のファイル。

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筆ペンで「クッキングノート」と書かれたそのファイルの裏表紙に書かれていたのは、私が生まれる前年の日付でした。
母がまだ母でなかった頃に、趣味で通っていた料理教室のレシピを綴った分厚いファイル。
わかめときゅうりの酢のもの、肉じゃがというようないわゆる家庭料理のレシピから、コンソメブランタニエール、スープジュリエンヌなど、聞きなれない洋食のレシピまで、活版印刷の文字が並んでいます。
至る所にメモ書きもあり(フリットの文字の下には洋風天ぷらというメモ。確かに!)、時代も感じつつ、基本は変わっていないということも発見しつつ、小1時間2人でキャイキャイとレシピを広げて話していました。

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実はこの料理教室、今ではそうそうあり得ない厳しめのお教室。
レシピの最初に綴られていた「教室の決まりごと」のページには、
・41回以上出席したもののみ、修了証を発行します
と明記されていたのですが、母に聞いたら年間コースだったとのこと。
つまり週に1回のクラス。
盆暮れ正月のお休みを抜かせば、ほぼ90%出席しないとコース修了が認められないという…これ本当に素人さん向けなの?(もちろん母はちゃんと修了証をもらっていましたが)

母は「これくらいしか趣味がなかったから」と謙遜していたけれど、コツコツ学びながら「料理を作るのが好き」で「料理を食べてもらうのが好き」な人になっていったんだなぁ、と改めて尊敬の念を抱かずにはいられません。
私はそんな母のご飯をめいいっぱい、お腹の中にいる時からずっと食べて生きてきたんだなぁと思うと、なんだかジーンとしてしまったのでした。

かくいう私も、気づけばあっちこっちの料理教室に通うようになり、それが趣味で遊びのような生活を長年続けた結果、「料理をするのが好きで人に食べてもらうのも大好き」を生業にしてしまったのだから、母と全く同じなのです。
母はそれを主婦という名でやっていただけのこと。

血は争えないねぇ、と母は笑っていたけれど、それだけじゃない。
料理をする母がとても楽しそうで、料理を振る舞って喜こばれている母がとても誇らしかったから。
もし植木を選定するのが楽しそうで、それで誰かに喜ばれている母だったとしたら、私は植木屋になっていたかもしれない。

料理する母の周りの空気は、いつも幸せだった。

『錦卵』の卵を裏ごしすることを任された時の誇らしさ、母がこねた肉団子に私がもち米をまぶして、最高に美味しい『もち米焼売』ができた時の喜び。
そういう湯気のようなはっきりみえない幸せな感覚を、私はずっと忘れることができないんだろうな。
それを誰かと分かち合いたいと願ってしまうのだろうな。

連綿と受け継がれるものには、かたちのない、目にみえない、自覚すらしていないような感情が寄り添っているのかもしれません。
はっきりしないけれど確実にあるものを掴みたくて、続けてしまうのかもしれません。
私も誰かに繋げていきたい。

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ちなみに。
母のもう一つの得意分野である「裁縫」に関しては、受け取るのみで受け継ぐことはできませんでした。(2020年現在)
でもきっとそれが母と違う私という個性なのだ、という都合のいい解釈をしております。


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