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わたしの小さな世界平和

4月末にリリースしたオンライン料理ライブ『国境なき料理時間』。
現時点ですでに4回開催し、毎回満員御礼、リピーターさんまで!という、私たちの全く予想だにしなかった反響をいただいております。

料理教室の名前にも紹介文の中にも、国境なき〜とか、世界平和とか、なんだか大きな言葉を重ねてしまうことに、最初は私が一番腰引けてました。
どんな壮大なプロジェクトなんだと思われてしまうかもなぁ…と。
でもでもでも!この企画をスタートするにあたって、相棒である国境なき料理団の本道佳子さんと何度も話したのは、これからの未来のこと。
コロナさんの前と後で、「平和」という言葉の意味も視点も変わるんじゃないか?ということ。
私たちが予感しているこれからの平和は、誰かが旗をふって『皆のもの!』と皆さんを引き連れていくものではなくって。
ひとりひとりの小さな平和を繋いで繋がって、気がついたらなんだかとっても毎日がいい感じ!になる。そんな軽やかな空気。
小さな平和の前髪は、日々の暮らしの中にきっとあるし、私はそれが台所にあるって思っています。
つくる・たべる、そんな台所での時間の中に小さな平和を発見してもらえらたいいな。
私が「ひびのわ」という屋号で活動し始めた頃から、それはずっと変わらない想いでもあります。

この企画を一緒にスタートした本道さんとの出会いを振り返ると、なぜ今に繋がったのかが謎すぎて(笑)
でも今の私があるのもまた、彼女との出会いがあったからこそなので、ご縁というものは斯も未知数なものなのかと思わざるを得ません。
一目惚れというものが恋愛以外にもあるのならば、きっと私は彼女に一目惚れしたのだろうと思うのです。

初めてお会いしたのは、とあるレセプションパーティ。
シェフとして呼ばれた彼女と元々スタッフとして参加していた私。
世界の要人が集まるパーティーの会場は、ある大学の会議室でした。
私たちの調理場は、その会議室の前室。つまり控室。
あったのはソファーとホワイトボード、そして数カ所の電源のみ。
洗い場は同じフロアーの小さな給湯室(コンロなし)。
え?ここで本当に60名以上の料理を作るの?ギャグなの?と笑うしかない状況(しかも電磁調理器を使いすぎて途中でブレーカーも落ちた)。
その上食材も予定通りには届かないという中で、彼女は明るくみんなに声をかけ、どんどんメニューを決め、問題が起こってもすぐに新しいやり方を提案し、ハプニングを楽しみ、数時間後には沢山のお皿がテーブルの上を彩っていたのでした。

この人ともっと一緒に料理がしたい!
そう心底思ったのは、その日その時あるもので、与えられた環境で、美味しいものをちゃちゃっとつくるというプロのシェフと初めてであったからかもしれません。
最高の食材を、動線の整ったキッチンで、完璧なレシピで調理するというのがプロ。
その時あるもので思いついたものをつくる私の料理は完全なる素人だから、料理を教えたりケータリングするなんておこがましいことなのかも…。
どこかでくすぶり続けてこそこそ活動していた私を、「美味しいって誰かが喜んでくれるのなら、それでいいんじゃない?」と笑い飛ばしてくれたように思えたんです。

料理という魔法で誰かを幸せにすることは、誰もができることなんだ!


料理には著作権もない。(もちろんシェフのスペシャリテを乱暴にパクるのは良くない)
あれ?失敗かな?と思っても調整可能。(もちろんどうにもならない失敗もある)
レシピは無限にある。(何を組み合わせようと自分がおいしいと思うならよし)

誰もが気軽に創造できるし、正解も不正解もあなた次第。
私が小さい頃からずっと料理を好きだった理由は、その自由さなんだ!と彼女が気づかせてくれたのでした。
創造性と自由さというキーワードは、大好きなサティシュクマール氏の“料理は錬金術だ”という言葉にも繋がっていきます。

自分の手でつくること、食べることで満たされ、それを誰かとシェアすることでその誰かに幸せな時間を提供することもできる。
一人の平和とみんなの平和が食卓にある。
その食卓の源は台所。
国境なき料理時間のやっていくことは、私たちの台所とみんなの台所を繋いでいくこと。
それは小さな平和をどんどん繋いでいくこと。
この小さな平和の輪がつながって繋がっていったなら…、少し先の未来は少しずつ幸せで満ちていくんじゃないかな。

こんなふうに言語化できない頃から、ずっと好きでやり続けてきたことが私自身の平和になっているってことが不思議でとても幸せ。
私の小さな世界平和はゆるゆると着々と広がっているようです。



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