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クニを出るということ

最近、オリラジの中田敦彦さんをウォッチしている。
3月に入って、シンガポールへの移住が始まっている。
始まっている、とはいってもまだ2週間の隔離生活を見ているだけだったので、「外国に移住した」感はやっと最近出てきた感じだ(笑)

それでも、初日にクレジットカードが使えなくなったりして、そうだよねー、準備したつもりでもなんだか不測の事態って起こるよねー、っていう「日本ではない場所」で起こりうることが起こっていたりで、これからもきっとそういうのを見せてくれるんだと思っている。

あっちゃんは、自分らしくいられないなら、仕事も変わればいいし、会社も変わればいいし、国だって変えたらいい。って言ってたりする。
「会社を出ても大丈夫だってことを示せたから、国を出たって大丈夫だってことを提示していきたい」ってことを言っていて、すごいなぁと思う。

私は、日本という国がいい国だと思っているし、生活のインフラも整っていて、治安が良くて、言葉が通じることと、文化が体に沁みていることが大きくて、移住するなんてことは考えたこともない。
けど、時々くだらない法案とかが通ってたり、非常時の対策が遅かったりするのに苛立ちを感じて、日本という国が捨てられたら、国家ももうちょっと住み良い国にしようとがんばるんだろうか、って思ったりもする。
(同時に、他の国が良い政策をしているとは限らないし強制力も強かったりするんだろうなぁって思う。けど、それも本当のところはどうかわからない、とも思う。なんとなくふんわり入ってくる情報でそう思い込んでいるだけだ)

そう。「お前たちはここでしか生きていけないんだから。言うこと聞いとけ」って扱いを受けているような気がしてしまう時もやっぱりある。
これが「会社」という単位でやられたら、ほかでも生きていけるわ!って外に出ていくことができるけど、「国」となると、「言っても、外の方がキツいんじゃない?」って思ってしまう。

そういうことを考えていると、戦国時代や幕末、歴史に生きた人たちなんかが、すごいなぁ、と思うわけだ。

あの人たちの「くに」は今の私たちの「国」だと思う。
外に別の「くに」があることは知ってるけど、旅で通りすがることはあっても、住む場所は生まれ育った場所でそこで年貢を取られながら生きていくことが当たり前だと思ってる。
よそがどれくらいの生活水準なのか分かるようで分からないまま、自分が生まれ育った場所から出ることはないのが当たり前、その「くに」の慣習・法律にしたがって生きる。
そう思い込んで現代の都道府県から出たことがない人もたくさんいたはず。

そんな中「くに」を捨てて、別の場所で生きていく人も出てきて。
県をまたいでの移住なんてあたりまえで。
現代では、リモートワークが可能になってきて、「縁もゆかりもないけど住んでみたかった場所」に住んでいる人もいる。

そう考えると、あと何年後か分からないけれど、
「2000年代はじめの頃までは、「国」に縛られてたらしいよ」
「まじで?!世界狭くて可哀想」
そんな会話が繰り広げられてる未来があるんだろうなぁ、と思う。


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