共感性について-摂食障害を考える(その3)

小さい子どもが「どうぞ」とおもちゃを差し出す。「ありがとう」と受け取る。お菓子を「はんぶんこ」にして一緒に食べる。他者との繋がり、分け合うことの喜びを知る大切な成長過程である。しかし摂食障害の患者は、この「はんぶんこ」ができない。

親子の関わりにおいて重要な「共視」(joint visual attention)という行為がある。2人がひとつの対象に目をやることである。このことは、幼児が他者の意図や心的状態を読み取り始めた段階に発達したことを示す。さらに親子関係が媒介物を橋渡しにして開かれていくということは、「共に視る」行為が情緒的・身体的な交流でも非常に大切な意味を持っていることに考えが及ぶ。加えて私は「分割して共有するpartage」イメージで、他者との断裂と承認と共感の重要性を説きたい。

摂食障害を患う境界例患者は、対象物を介する共感が難しく、自他分離が曖昧である。具体的な体験内容ではなく、身体的に自己移入してしまう。彼女たちが「私をわかってくれない」という時、それは知的な理解のことではなく、漠然とした全体性としての自己を受け入れてもらえないことを意味しているのである。皮膚を通して、他人に痛みを知らせるリストカットも「共感」に起因する可能性も考えられる。

また、境界例を伴わない主に拒食症患者が食事を分け合えないことは容易く想像できるだろう。彼女たちが「自分の身体や他人を思い通りに動かそうとする目論見」については先に少し触れた。元々「いい子」「優等生」だった子どもがこの病に陥りやすいと言われている。これは、数字や目に見えるかたちでの「評価」でもって、他者の目をコントロールしようとする心性によるものだと考えられる。彼女たちの「見られる身体」は人々によって意図的に虚像としてつくられていくが、他者と共有される身体的な感覚部分で不具合が起こってくるのだ。

拒食症の目論見について、次回に続きます。

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