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私と娘の幼稚園生活3年間

長女が来月幼稚園を卒園する。
お別れの歌を練習して泣いている娘に理由をたずねると、卒園が寂しいからではなく「6年間愛情をそそがれて生きてこられたことに感動している」んだそう。人生何周目なんだろうか。

昨年末、幼稚園のクリスマス会の演劇で、娘は主役を演じた。役決めの前日に主役に立候補しようか迷っていた娘に「最後の演劇なんだから、やりたいことをやりなさい」と、私は背中を押した。娘は年少年中と、人に譲ることを美徳と考え、演じたい役をあきらめてきた。今回は最初で最後の挑戦だった。

役決めは話し合いで行われる。主役を演じることがいかに大変か園長先生からの長い説明もある。大体の子供は集中がもたない。娘の覚悟は本当で、最後の2人まで残って話し合いが続いた。最終的にジャンケンをすることになり、娘が勝った。勝ったのに、悔しくてもう1人の主役希望の女の子がわんわん泣いてしまった。あまりに泣くので、娘は泣く姿を可哀想に思い、またジャンケンをしてあげた。4回目にしてその女の子が勝った。すると娘は「あなたの勝ちだから、あなたの好きなようにして良いよ」と言ったらしい。それを見ていた園長先生が娘の優しさを褒め、娘が主役を演じることになった、という経緯があった。

娘が演じた主役というのはマリア様だ。イエスキリストの生誕劇を上演した。当日、ガブリエルが現れ受胎告知の歌を歌うところまでは元気そうだった娘の顔色が途中から悪くなる。とうとう最後まで小声のままだった。緊張なのか体調不良なのか、心配した。着替えが終わり安心し切ってスキップして帰路につく娘にこのことを聞いてみると「イエス様妊娠中と産後は具合が悪くて大きな声だせないでしょ」と笑顔で答えた。全て演技だった。妊婦の気持ちが分かる幼稚園児。いったい人生何周目だろうか。

我が家は娘の幼稚園入園と同時に東京から引っ越してきた。東京にいた頃はコロナが猛威をふるっており、夫は急遽リモートワークに切り替わり、仕事の邪魔にならないよう私と娘は公園を梯子して時間をつぶす日々が続いていた。そんな中私は妊娠と流産、加えて婦人科系を悪くして体調不良、実母は脳出血で倒れ、唯一の理解者の恩師は癌宣告を受ける。母は半身麻痺になったものの、頭も言葉にも後遺症が残らなかったので、毎日私に2時間「死にたい」という電話をかけてきた。私が死にたくなった。

逃げ場のないなか、偶然良い物件が見つかる。引っ越しを考えて二週間後のことだった。引っ越した場所は空が広くて空気が美味しいところだった。状況は好転していってた。

それでも娘の入園式は複雑だった。私も娘も知り合いがひとりもいない。幼稚園の未就学コースに通っていた子がほとんどで、みんなが楽しそうに話しているし、幼稚園の勝手を知っているようだった。娘に申し訳なかった。運の悪いことに、娘のクラスには暴力をふるう男の子がいて、入園式の日に2回も殴られた。一年を通して何度も殴られた。娘は「私が何か悪いことをしたのかな。たぶん私のことが嫌いなんだと思う」と神経をすり減らしていった。

年中の終わり頃から、男の子の暴力は全くなくなった。落ち着き始めた。すると先生も周りの大人も「叩かなくても気持ちを伝えられるようになって偉い」「成長したね」とベタ褒めをする。私は「うちの子はそもそも人を叩いたことなんてありませんけど」と思った。当たり前のことが当たり前にできている人間は褒められない。これは大人の社会でも言えること。殴られても我慢し続けた娘のほうを褒めてほしかった。

決してやられっぱなしなどではなく、娘は活発で明るく、優しい。優しすぎて繊細で、一時期は何をやっても「ごめんなさい」と謝る癖がチック症のように出てしまった。その時は症状を「虫」のせいにして、「ごめんごめん虫」と名前をつけて、イラストにして、追い払うように肩をはたいた。これが良かったかどうかはわからないが2ヶ月で症状は完全になくなった。

繊細な娘にしかできない取り組みは他にもある。「気持ちの地図」というものを作って1年になる。画用紙を四分割し、左上が「おだやか」、右上が「たのしい」、左下が「かなしい」、右下が「イライラ」と書いた簡単な散布図だ。毎日自分の気持ちに合うところにシールを貼った。振り返ると長期休暇中は「イライラ」が多くて、暇を持て余すのが苦痛なのだとよく分かる。

他にも、カレンダーを自分用に貼って自分で予定を書き込む取り組みは、日付感覚を定着させ、主体的に行事に取り組めたり見通しがもてる効果があった。娘のすごいところは、これらすべて娘自身が発案した活動というところにある。私は少しの知恵で、娘がやりやすいように補助しただけなのだ。

自己実現を果たしていった娘。ただ、受験は失敗した。娘のストレスを考え、とくに受験対策はしなかったが、十分に能力は発揮できた上で運が悪かったとしか言いようがない。娘は幼稚園から色々なことを教えてもらった。蝋燭の火を扱うことも、大人用の針で裁縫することも、補助もなく包丁で野菜を切ることもできる。衣服の畳み方から礼儀に至るまでのお作法を丁寧に教えてくださった幼稚園に心から感謝している。ただ、このようなポリシーの強い幼稚園は「私たちに任せてほしい」という気持ちが強すぎるのか、保護者の口出しを嫌って閉ざされた印象がある。次女の入園までにもう少し風通しの良い園になっていることを願う。

お別れまであと1ヶ月。人との絆を学ぶ上で大切なことは、出会いよりも別れをより良いものにするということ。お世話になった人には感謝の気持ちを伝え、「いつでも帰ってこれる場所である」と心の中の繋がりを途絶えさせないよう、大事に残りの日々を過ごしたいと思う。

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