対消滅と共進化:完全消滅はありえない

部分は対の部分を求め続ける。
そして同時に拒み続ける。
部分が部分であるために。

分:①分ける、②分かる
わける は 区別すること。
わかる は 一体化。

過:①過ごす、②過つ
すごす は 日々の生活。
あやまつ は かけ離れること。

寛:①ひろい、②おごり
度量がゆたかであること。
身の程を知らないこと。

全:①すべて、②非部分性
枠の中の充溢。枠の外の無関心。
欠損が欠損していること。


単語や語句には上記のように、
語義の内に自己否定(自己撞着)を含むものがある。

名無しという名前や
無題という作品名、
無為な行為、のように。

それらには意味があって意味がない。

存在するが、存在しない。


個人の中に、

自己肯定と自己批判は同居し

自尊心と自己不信は同居し

人間嫌いと人間愛は同居する。


社会の中に、

否定と肯定は同居し

健康と疾病は同居し

戦争と平和は同居し

不和と調和は同居する。


「存在(現象)」という部分は、全を目指しながら、対になるものを求め続け、しかし完全に同化することを拒み続ける。

この相互作用が変化を起こし、時間に振り落とされなければ進化となる。

この世の存在はすべて共進化している。

生物だけを語る部分的な進化論は間違っている。

また、あの世は時間の残渣であり、生き物を決定するのは生きているモノよりむしろ、もうすでに事切れたモノ達である。

だから、進化を語ることは同時に、現在に至るまでに払われた幾星霜の犠牲を語ることなのである。



「わたしは存在しない。」

こう言い切るとき、初めてわたしはわたしと同化できる。

「あなたは存在しない。」

こう言い切るとき、わたしは初めてあなたになれる。

「私たちは存在しない。」

こう言い切るとき、私たちは初めて同じになれる。


しかし、そんな神秘的感覚はいつも一瞬で途切れ、

断片的で非神秘的な存在に戻る。


人は言葉を忘れたい。

命はみな身体を燃やしている。

全は無を求め、無は全を求める、
かのように振る舞う。



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