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娘が炸裂させている力が、昔の私には不足していた

先日4歳になったばかりの娘が、シルバニアファミリーのことをなぜか、「シルバニアあそびにー」と覚えてしまっている。

今のところ、これを超える面白い言い方(言い間違い)を思いつかない。悔しい。

今回のタイトルで言いたいのは、そんな面白能力のことではない。

私が注目している彼女の力は、「願望実現(ゴール)とゴールまでの道筋を描く力」。

彼女は何か欲しいものがあったり、したいことがあると、ゴール地点で得られる感動や喜びはもちろんのこと、ゴールまでの道筋をまるで未来が見えているかのように、具体的にあざやかに想像して、私たち家族に話してくれる。

ここ最近で言うと、彼女には「ワンちゃんを飼いたい」という願望があるのだが、希望するワンちゃんの色、大きさ、どうやって迎え入れるか、名前、リードはどうするか、ネームタグはどうするか、散歩について、飼ってから教えたいこと、一緒にしたい遊び、室内に入れてもいいかどうか、などなど、実に細かく提案をしてくる。ちなみに、名前は「イヌ」だそうだ。この辺りは、4歳らしさが光っている。

もちろん、今回の場合のように家族同様の1つの命を迎え入れるような案件に関しては、自分たちも安易に返事をすることは控えていて、「お世話は毎日大変だよ!」とか「お散歩も毎日しないといけないよ!」と楽しいばかりではないことも伝えるようにしているのだが、そこで決してめげることなく「私がする!絶対楽しいよ!」と常に前向きの返答が返ってくる。

もしかしたら、しばらくしたら熱が冷めて忘れるかもしれないと、そっとしておいたりするのだが、たまに娘と一緒に散歩に出かけていると途中で「ねぇ、いつになったら飼える?もう4歳になったよ。」とチェックが入る。(実はこの願望は3歳の後半からずっと続いていて、お誕生日が来たら考えよう、というゆるい返事をしていた結果が今なのである。)

これが、他の場合でも同様で、例えばTVでキャラクターショー開催のCMを見たりすると、「いいなぁ!お父さんと、お母さんと、ばあちゃんとみんなで車に乗っていくんでしょう?やったー!おやつを持っていこうね!お友達もみんな来るよー!」と完全に行く感じになってるので、困る。

子供ってみんなこうなんだろうか?

少なくとも私が子供のころは、こんなタイプじゃなかった。

与えられたものを受け入れる、ということはあっても自分から願望に近づいていく方法がわからなかった。

何か欲しいものがあったり、したいことがあってもそれはいつも漠然としていて、輪郭もぼやけていたし、当然そこにたどり着くまでの過程なんて思いつかなかった。

つまり、私はいつもゴールが描けていなかったのだ。そこが、私と娘の決定的に違うところ。

娘の場合は、「絶対に!」「何としても!」という情熱に溢れたゴールがある。ゴールに向かう娘はさながら冒険に出かける勇者のようだ。

これにひきかえ、私の場合は「なんとなく」「なるといいなぁ」といった具合で、そもそもゴール地点が定まっていないのだから、何かを手に入れたりしたいことを実現できるわけがない。

自己肯定感が低く、何をやってもだめだなー、と嘆いていた私が、どうにかこうにかゴールとそのゴールまでの道筋を明確に描けるようになったのは、社会人になって仕事をするようになってからだ。

仕事の場合は多くの人が携わるし、自分の個人的な願望とは違って、責任が伴う。「ぼんやりしてて、ゴールにたどり着けなかった、残念!」みたいなことが何度も続く人に信頼は生まれないし、仕事も頼まれなくなるだろう。

この仕事の目的は何で、やり遂げることでどんな未来があるのか、またそのゴールにたどりつくために考えられる方法と、妨げとなる障害をいかに取り除くか、を"見える”まで考え抜くこと。

たくさんの人と携わる仕事だからこそ、結果が良いものであれば、喜びや幸せが何倍にも広がる。

だから、ゴールを明確にして、確実にゴールする道筋を描く。

私はけっこう時間がかかったけど、なんとかできるようになってきたので、もし同じように悩んでいる人がいれば、少しでも励みになればと思う。

最後に、誰も気にしていないと思うけど、トップに使った画像は、ゴルゴ松本の「命」のポーズではなく、江戸火消の梯子乗り(きっとTVで何か情報を得たに違いない)をまねして「エア梯子乗り」のポーズを決めている娘である。

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