団体戦

今日は取材準備も兼ねて、「個人戦と団体戦」について書いていきます。この記事で指す個人戦と団体戦は、「生きる上での戦略」のことを意味します。

核家族も多く、単身者も多いとされる日本では、都市部の賃貸事情から察すると、1~3人以下で暮らすことが想定されているかと思います。アッパー層が暮らす家はもっと広いぞ、という声はさておき、アパートやマンションの部屋は大人数で暮らすことはまぁ、想定していないですよね。少子化もドンドン進んでいるので、基本的に数人単位か1人で生きている人はとても多いでしょう。

私は法律事務所に勤務している時、多くの移民家族からの相談も眺めていました。ブラジルの日系移民は北陸にも多く暮らしています。精密機器やメガネなどの工場で働いているのですが、彼らも私たちと同様、交通事故や労災には遭うし、DVや傷害事件に悩むこともあります。加害者にもなるし、被害者にもなります。日本に暮らしていると、昨今のクルド人や入管問題がクローズアップされると、「加害者」としての外国人が報道されます。しかし、非常に多くの「被害者」がいることは想像していないでしょう。彼らは過酷な労働環境に居ることも多いですし、言葉の壁を利用され、交通事故では保険会社からあきれるほど安い金額の示談金を提示されることもあります。あまりの提示額に絶句し、怒りを覚えたこともあります。日本人相手ならこんなことはしません。我々は外国人を低賃金で雇いビジネスに活用しているうえ、「食い物」にしているという視点を、必ず持つ必要があります。

ここから今回のテーマなのですが、ブラジルの日系移民の方々は、法律相談に来る時に、「団体」で来てくれます。日本語が上手な身内や友人を連れて、相談者本人の母や父、兄弟姉妹や子などを連れてくることもあります。センシティブな話をしてもいいのか、と確認すると、「みんなに聞いて欲しい」という方が圧倒的に多く、4~6人単位で来ることも多かったのです。これはあまり日本人の法律相談では見かけないものです。(解決への道中で、家族の同席を依頼することなどはあります)

彼らはともに泣き、ともに怒り、時には内輪で喧嘩を見せることがありますが、「団体戦」で生きる人たちでした。親族や友人を頼って転職や移住をしていきますし、数家族単位でブラジルと日本を往来している方たちもいます。一緒に生きるのです。

団体戦の弊害には、強権的な父権が見られることもかなりあるのですが、1人のトラブルに大きな人数が動く様子は、良いものでもありました。生活資金や弁護士費用を支えたり、時には友人の事件はいつ解決するのか、と怒ります。彼らのネットワークに触れると、日本人には見えにくい日系人による経済ネットワークもかなり多く、手広く国際ビジネスをやっていることも知りました。そんな彼らに、「私たちは日本人だ」と言われたこともあります。決して一人にならないことが、この日本で暮らす上で大切なことなのでしょう。

結婚している私と未婚の知人・友人との間には、見えない深い溝が生まれることがあり、何人かは30代に入ってからこの地を去りました。個人戦をやるなら都心部の方が干渉されないという面では大きなメリットです。しかし、人生におけるトラブルを法的に解決する現場にいた経験からすると、生きていくためには、「団体戦」の方が圧倒的に有利です。数は力です。これは、移民の脅威とか、そんな適当な話ではありません。田舎が嫌い、干渉が嫌い、というのもわかるのですが、多くの方は「天涯孤独」にはそう簡単にはなりません。親、兄弟姉妹がいると、どこに行っても戸籍で縛られているので、何か大きなトラブルがあれば、まずは家族に頼ってくれという話になりやすいのです。そして天涯孤独になってしまうと、圧倒的な資金か、強靭な身体の両方かいずれかが必要になります。どこに行こうとも、誰かに「干渉される」が生きていきやすいのです。

友達同士の共同体でもいい、ギルドのようなつながりでもいいです。トラブルがあった時に、躊躇なく首をつっこんでくれる人はそばにいますか。その人たちに弱音を吐き、時に資金も貸してもらいながら、たくましく生きていくことができていますか。仕事をあっせんしてもらい、見知らぬ土地を移住し続ける自信はありますか。団体戦には、個人戦には無い「セーフティーネット」があるのです。

私には独身の義姉が2人います。彼女たちは大学を出た後、外国に暮らしたり、いくつかの場所で職についていましたが、40歳になる時にそれぞれが無職で帰ってきました。彼女たちは、この家の「団体戦」があったから今もパートのような形で生活ができています。私は嫁という立場で言うと、まさかの同居生活だったのですが、50代の単身女性が生きていく大変さなんて、容易に想像できます。子育ても手伝ってもらっていますし、今後も同居し団体戦をやるときめています。何かあれば、私は資金も出します。好きか、嫌いかで生きていけるほど、人生ぬるくはないのです。

移民問題では、外国人は敵とみなされることがありますが、パワハラなどのトラブルにあった時に、ともに怒鳴って乗り込んでくれる家族や友人がいる、それだけで少し生きやすくなるのではないでしょうか。すべてを怒鳴るような方法で解決しろ、というのではありません。仲間がいるというのは生きやすいものです。

私たちが移民となる日だって来るかもしれません。真面目に生きるための団体戦を、考えてみてはいかがでしょうか。






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