官能

大した教養も知識も経験も持たなかった20代の頃、その人の前で切れっぱなしの古布をスカーフのようにして巻いていたら、「自分の指先に自信はあるか」と質問されたことがあった。指先に自信がある人、という言葉に全く馴染みがない。「ない、と思う」と答えると、布の目利きができるなら、指先に自信を持てばいいと言った。その人は私より10個ばかり年上のひとで、Rさんと言われていて、小さなbarを営んでいた。私も周囲の人と同じようにRさん、と呼ぼうとしたが何故か躊躇い、苗字のTさんと呼んでいた。Tさんは男性にも女性にもモテる人で、そのことを自慢もしなければ隠すこともしなかった。(だからモテるのだろう)

まだ菓子箱程度の形状を保った警戒心があった若い頃の私は、Tさんのような空気を纏っている人とは寝ないように注意していた。カウンターにいる女性(時には男性)が、Tさんを所有したい、でもできない「もどかしさ」を時にはジントニックで、時にはオーダーを止められた後の冷水で流し込んでいる。この手の人と寝てしまうと苦しいことぐらいわかっていても、止められないのはなぜなのだろう。Tさんには「その時だけは全力で優しい人」が持つ特有の色気があった。私はこの店に行くときは、お酒は2杯まで、営業開始後2時間以上を経過した後に来店し、1時間程度で帰る、煙草は3本までというルールを掲げていた。どこでも礼儀正しく居ることは官能的でもあった。身を焦がしたり、滅ぼしたり、その時だけは全力で優しい人に期待したり、そういうことはやろうと思えばとても簡単だ。振り子を振り切ってしまえば蜜に落ちるようなことは、官能的ではないと思っていた。(少なくても当時は。振り子は振り切るためにある。)

Tさんは礼儀正しく飲んでは帰っていく私には、私が身に付ける装飾品についてだけ、会話するようになった。古布、露店で買った子ども向けのマグネットイヤリング、地下鉄の路線図が刻印されたバングル、真鍮の蝶のイヤーカフ、その時々で楽しんで身に付けている装飾品について、どこで買ったのか聞かれると、簡潔にその場所だけを答えた。Tさんは「誰にもらったのか」という質問はしなかった。

ある夜、私が店を訪ねるとその他の客はいなかった。カウンターに座ろうとすると、紺色のシルクタイを手渡される。Hermèsのもので、ゆっくりなぞるように触ると、シルクだけが持つ鋭利な冷たさがあった。「アルコールが入る前に、それで目隠しをして」と言う。「どうしてですか」と聞くと、「ガラスの質感を覚えてほしい」と言った。おとなしく席に着き、シルクタイで目隠しをする。目隠しをする以上、目もしっかり瞑る必要がある。

目の前に4つの音。ガラスのグラスが置かれる。鈍痛のような音が響く。
右から、1、2、3、4。重いのはどれ、音で当てて。右から2。
右から順に触ってみて、グラスの内側には触れないように。古いのはどれ。右から4。どうして。泡が見えるから。
一番使いやすいのはどれ。右から1。どうして。いつもここではこれを使うから。
欲しいのはどれ。右から1。

「外して良いよ」と言うので、番犬が忠誠を誓う首輪をするようにネクタイを下ろす。Tさんは「全部デタラメを言ったでしょう」と言うので、はいと小さく答えると、残念だなもっと勘が良いかと思ったよと言う。シルクタイを小さく畳んで差し出すと、随分前に客が置いていったものだからあげるよ、目隠しして夜道を歩く時にでも使ってと言った。




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