ポートレート

ある人がかつて撮り溜めた写真を見せてもらうことになった。写真のほとんどを始末してしまった私には、とても貴重なものであり、異物であり、どのように向き合うべきなのか答えがない長方形だった。他人の過ごした過去の時間が切り絵のようにちぎり取られ、箱庭の中で自由に漂っている。写真とはタイムスリップのようであり、非現実なものでもあり、本当はまだ見ていない近未来のようでもあった。写真を捨ててしまった理由を聞かれることは多い。昔の恋人とたまたま再会した時に、もう卒業アルバムすらないと伝えたことがある。彼は「お前、前科でもあるのか」と言ったので、こういうことをあけすけに話してしまう屈託のなさは、本当に好きだったなと思ったりした。(ちなみに前科はない。交通違反歴程度はある)

人物写真を見ると不思議な気持ちになる。嫁ぎ先にはご先祖の写真がやおらひらりと飾られている。当たり前だが全員知らない。しかし、毎日その横を通過するので、時々「はいご先祖、昨日は地震でちょっと揺れたね」とか、「最近胃腸が弱いのですが、漢方は効きますか」などと心の中では語り掛けたりする。そのため、赤の他人とも言い切れない微妙な距離がある。私自身の人物写真も、もっと残しておけばよかったようにも思う。不幸なふりも、寂しいふりも、根性のないふりも、もう少し早くやめておくべきものだった。煙草より害がある。幸福で、満たされており、十分に根性のある女だと、もっと早く認めてあげればよかった。もしも、もう少し、この先にも人生の尺が用意されているのなら、あなたに撮ってもらいたいと思う。


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