行旅死亡人 (修正)

多くの人にとって、失踪とは縁遠いものである。家族や恋人、親しい友人がある日突然失踪してしまうような経験をすることは少ない。ただし、一度でもその経験をした者からすると、失踪はとても身近なものになる。自分自身にもいつか経験が「訪れる」ことがあるのでは、と考えるようになる。真っ白の壁に黒い、小さなシミが現れる。インク汚れかホコリの類か、あるいは害虫の一つが得たヤドリギか。そっと壁のシミの正体を探ろうと近付くと、違うどこかへと一歩を踏み出してしまうことがあるのではないか。失踪という行為を知る前と後では、世界が変わってしまったと自覚している。自分の中に元々あった「所在のなさ」にはっきりと一筋の光が当たってしまったのだ。いずれ自身の所在をはっきりさせるために、失踪をするのかもしれない、と思うようになった。

人は意外と、ナチュラルに失踪する。失踪とは消えることではなくて、見つけることだからだ。

失踪に魅入られるようになったのは、叔父が失踪した後のことだった。私たち一族は何となくこの日が起きるのではないか、とわかっていて、みなその日をどこかで待っていた。待ちわびていたと言っても良いだろう。叔父の失踪後は時々警官が訪ねてきた。免許証の不正利用、振り込め詐欺の振込先に名前が使われているだの、その時々によって理由は異なるが、丁寧に聞き込みに来た。しかし本物の失踪をしている人のゆくえなど、家族は知る由もない。私たちはその後も、叔父を探すことなど1度もなかった。

背景事情を知るのか叔父の友人を名乗る人が、時々訪ねてくることがあった。彼は毎回2杯の緑茶を督促し、緩急つけずに飲み切っては、「行先死亡人にでもなってくれたら、恩の字やな」とヤニと虫歯で汚れた口腔内から、同じ言葉を何度も吐き出した。吸ってもいない煙草の煙が見える。失踪の途中で身元がわからない死者となると、行先死亡人として処理されるらしい、と初めて知ったのは高校2年生の頃だった。

「所在のなさ」とはその後、長く付き合うこととなった。よくある多感な青春特有の感情とは大きく異なった。この街を捨てて一人になりたい、という青臭さで得る達成感は、単なる「場所の移動」に過ぎない。きちんと両足を揃えて、重力の実力を生かして暮らさなければ、容易にこんな場所からは消えてしまうとわかっていた。失踪は場所の移動では済まない。自分を見つけに行くことに終わりはないからだ。うっかりしていると、自分もナチュラルに失踪するのではないか、という恐怖心は大きかった。

失踪はしたくてしているのではない、せざるを得ないのだ。

壁のシミの正体を確認しに行った程度で、うっかりと失踪することがある。しかし、そのシミの正体を確認したくなる衝動は、これまでに2度経験した。厳密に言えばシミ自身になったこともある。

1度目は10月終わりの能登の海、波浪警報の海を1人で見に行った時だった。激しく爆音を鳴らす砂浜を、確認するように裸足で歩く。爪の中に砂が入り込み、少しずつ自分が侵食されていくのがわかる。海の近くは警報を知らせる町内放送が流れていて、「海岸には近付かず、高波から離れてください。海水浴などのレジャーは至急中止し、今すぐ避難してください」と繰り返していた。5回目の放送を耳にした時に、ふと壁のシミのことを考えた。海水浴などのレジャーを至急中止しなかったら、私は海にさらわれるのだろうか。海水浴など、にはどんなレジャーが含まれるのだろう、今私が重力を手放したら、失踪するのではないか。それは最高のレジャーなのではないか。

巻き上がる髪と波に視界が急激に狭くなる。私はこの時が来るのを待っていた。ずっとこの瞬間が来ることを、静かに待っていたのだ。6回目の放送が終わる。これ以上町内放送を耳にすると危険だとわかった。あと数回放送を聞いたら、私はあちらに行くことになる。自分を連れ戻すようにして、急いで砂浜を離れた。

2度目はある3月の始まり、強い快楽の渦に居る時に、あなたと不意に目が合ってしまった瞬間でだった。あなたの瞳の中にいる自分と、目が合ったのだ。節操も見境もないような露わな状態となっている自分とあなたの肢体も目に留まる。おそらく二度と今日のような、一人なのか二人なのかよくわからなくなるような「まっさらな孤独」を見ることはないのだろうとわかってしまい、数時間後には失踪するのかもしれない、と考えた。このまま息苦しいベッドの淵から、私たちは何もかも踏み外してしまえばいいのだ。あなたから視線を逸らすと、苦しそうに息を吐きながら逸らさないで良いと言う。その瞳に嘘はない。私が連れていくと言ったら、あなたは一緒に来てしまうのだ。コンビニの傘立てからビニール傘を盗むような罪悪感に包まれる。この人は、私が元に居た場所に返さないといけないのだ。

この時は壁のシミから、自分たちを冷たく覗いているようだった。至急中止すべき、海水浴などのレジャーに含まれる類の行為だったのだろう。

所在のなさとの付き合いは、その後上達することとなる。それは他者からすると当たり前のことなのだが、その選択肢を「持たない」と決めたからだ。決めたきっかけは妻となったことでも、母となったことでもなく、行旅死亡人の官報に触れたからだった。ナチュラルに、とても多くの人が失踪しているその事実を、文字で認めたのだ。大勢の本籍・氏名不詳の確かな実在がそこにあった。それは死が刻印されているのではなく、生のしるべのようだった。自分と似た背丈の、似た年齢の、同じ血液型の。どちらにせよいずれにせよ、私はそちらに行くのだろう。ならば、選択肢を持たなければ良いのだ。壁に這う害虫を窓の外へと追い出すようにして、所在のなさと上手く愛しあえるようになった。




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