KEW

植物園に足繁く通っていた頃、あまりにも頻繁に植物園へと出向く私のことを面白がった友人の数人が、全国のおすすめ植物園や、世界の植物園情報を寄せてくれた。その中の1つに「KEW」があった。KEWはロンドンの南西部にある植物園で、王立である。もうそれだけでとんでもない植物園であるとわかるのだが、行ったことがないと話すと、訪ねたことがある友人が絵葉書をプレゼントしてくれた。この出来事をきっかけに、いくつかKEWに関する本を輸入した。本を開くと、瑞々しくまるで都市のような植物園が閉じ込められており、いつか数日間はかけてじっくりと回り、植物園にしか纏うことができない空気感に触れてみたいと思った。柔らかな植物の穂先に触れると、自分自身も「いいもの」になれる。子どもだったころ、実家の近くに園芸センターがあり、なけなしのお小遣いをポケットに入れて、時々鉢植えを買い求めた。園芸センターの職員はいつも私を「園芸愛好家」として扱ってくれる。子ども扱いなど決してせず、肥料の与え方、水はけの管理方法などを教えてくれ、オジギソウを選んだ時は、「品の良い植物を好むね」と言った。私はその言葉をえらく気に入り、「品の良い植物のような人」になれたら良い、と思うようになった。実際はかけ離れていくのだが。オジギソウは触れると、音もなく小さく垂れる。その様子は確かに品の良いものであった、

植物というものは非常に暴力的でもある。住人を失った空き家は圧倒的な植物の命に囚われ、すぐに蔦に飲み込まれてしまう。セイタカアワダチソウは直立に育ち、縦横無尽に自然の柵を作り、人の住処などどうにでもしてやれるのだ、と意思表示をしているようだった。植物園の持つ「都市としての美しさ」にも見惚れるが、雑草の持つ「暴力」にも見惚れるようになる。容赦なく何もかも包んでいく様を見ていると、他人の持つ暴力的な、蔦のような感情に絡まれてしまいたいという小さな欲望に気が付く時もある。柔らかな他人の髪に触れると、自分自身が「いいもの」になれるときがあるのだろう。


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