社会の良心

選挙活動における妨害が一部で話題ですね。私は与党・民主党時代に政党事務局の経験があるので、今日はその視点から少し選挙の話を記録しておきたいと思います。あらかじめ書いておくと、現在私は立憲民主党には関係していません。最近維新の方が立憲を潰す、というようなコメントを出していたかと思いますが、とっくに政党としては弱体であるため、わざわざそのようなコメントを出すのは好かないな、と思いました。無いものを有るかのように言うことは下品な行為です。維新も含めて、自民党と拮抗できる野党は1つもありません。自民党一択なので、まともに政治家を目指すなら自民党員を志すのもやむを得ないでしょう。政治に関わるのは大変なので、現在はどの政党の選挙にもかかわっていません。(投票はします)

もう15年ぐらい前になるのですが、当時も選挙活動における妨害はありました。当時は主に右翼の街宣車からの妨害でしたが、右翼も政治団体であり、街宣の許可は下りているので手続き上右翼の活動には何の問題もありません。赤十字の献血願いの宣伝カーと同じ、と思えば良いでしょう。街宣や宣伝カーの許可などについては、共産党がネット上でうまくまとめていますの絵よろしければ一読を。宗教による妨害は体験したことがないですが、当時も某党は戸別訪問はすさまじかったです。

選挙というものは、誰でも捕まるし、誰もが捕まるわけではありません。非常にグレーゾーンが大きいのです。

当時と今の何が違うか、というとネットの有無です。私が携わっていた頃はスマホが普及していなかったので、選挙妨害などの行為が可視化され拡散することがなかったのです。妨害行為はあるものの、「マジでこんなのいるの?」と多くの人が知る機会は無かったのです。結論から言うと、昔からこうした人は一定数いるのですが、問題になってこなかっただけなのです。(私はここまで激しい妨害は経験していないですが)
選挙妨害、政治ゴロの加速は、ネットの拡大と泡沫政党の乱立が原因かなと思っているのですが元々いたけど、「社会の良心が機能してこなかった」ことが急拡大の原因とも考えています。「警察が機能していない」とは、間違っても思ってはいけません。

選挙や政治は、警察に安易に介入させてはいけない分野です。時に警察のやり方に対して、疑問を呈したり抗議する胆力が必要となってしまいます。警察とはお金を払えば誰でも守ってくれるセコムとは違います。圧倒的な力と、謎のパワーバランスによって運営されている巨大組織です。誤認逮捕が起きることもあれば、なんであいつが捕まらないんだということも起きます。私たちの誰もが、加害者としてお世話されることがあるのです。選挙や政治は、めんどくさいし変な奴が多いから距離を置きたい、という人が圧倒的に多いと思います。もうそれが大正解です。変な奴ばっかりで、関わりたくないですよね。

しかし、警察に頼らずとも、私たち自身がやりたくなくてもそこそこ血を流しながら「社会の良心」にならなければ、政治ゴロは今後も迷惑系ユーチューバーのように増えるでしょうし、私たちはぼんやり画面を眺め、「こんな奴いるの、ヤバ!」と再生回数を伸ばすことに加担してしまうでしょう。生ダラにヤバい奴出ているなと思ったら「オウム真理教」だったことを、忘れないほうが良いのです。

血を流す、というのは抗議行動をしろなど身体を張ることを意味しません。徹底して無視し、選挙で当選させないこと、決して彼らの悪意に関心を引かれず、大人としてふるまえ、ということです。

どんなに悪意に満ちていて、画面が面白そうでも、決して振り向かず、社会に良心を与える必要があるのです。

時々別の文章の中でも書いていますが、私たちのほとんどはクソ野郎です。しかし、社会をゆるく楽しく元気にライドしていくためには、クソ野郎でも幸せに生きていく社会のために、どデカいクソ野郎を大人数で止め続ける必要があるのです。肥え太って事件を起こし、死刑になるのを待つのではなく、彼らが「育たない」ように、ここで気合を入れて止めろ、ということです。警察に介入させる前に、善意のあるふりで良いので、普通の人が普通に生きていける社会を死守する必要があるのです。

再生回数を稼がせるな、関心を引かせるな、ガーシ―の二の舞を増やすな、ということです。本当はかなりの人数でシット・インぐらいやっても良いような出来事が多いのですが、普通の人はシット・イン、嫌いですからね。悪意を画面で眺めて楽しむようになったらダサい、と腹をくくって、子猫の可愛い動画を見ましょう。それが社会の良心だと信じて。





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