ポルノ

出張で西新宿に行く時に、よく連絡をしていたA君は学生時代の友人で、当時青森県に住んでいた。A君とは暇な時に、時々電話をかける関係であった。来週西新宿に行く、と告げると僕も出張を合わせるから、タイミングが合えば飲みに行こうと言う。仕事を終え、翌日の会議に備えるために北陸からの最終電車で西新宿に着いた時は23時を回っていた。A君とは会えそうにない。簡単な食事と入浴を終え、時計を見るとすでに1時だ。仮眠のようにベッドで眠っていると、4時前に電話がかかってきた。A君である。あと5時間後には会議であり、億劫だがなんとなく電話に出ると、紹介したい友達がいるから、ホテルの下に来てほしい、という内容であった。

化粧もせずに乱雑にお団子の頭を作り、前日の衣服に袖を通し、ロビーに下りる。ホテルの外に出ると、90年代のシボレーカマロの中に、助手席にA君、運転席に端正な顔立ちの男性が居た。「こんばんは、随分とかっこいいカマロですね」と言うと、「もうおはようやな、乗ってや」という小気味の良い関西弁訛りが返ってくる。シボレーの中は赤いマルボロの匂いに包まれており、わかりやすいアメリカン・アイコンに満ちている。私は後部座席で小さなあくびをした。シボレーカマロは20分ほど走るとチェーン店の居酒屋の近くのコインパーキングに止まる。「ちょっと飲もう」と二人が言うので、眠い目を両手で擦りながら店舗に入った。

A君の友達はS君と言い、AV撮影の助監督のような仕事をしている、と話した。私は寝ぼけながら頷き、大変なお仕事ですねと答える。ウーロン茶を注文すると、飲まないのかと言うので、9時には会議だと答える。私たちは学生時代の話や、最近の恋愛事情などをぽつぽつと話す。S君は将来はミニシアターで上映されるような映画監督になりたいこと、女の子たちは脱ぐとみんな「可愛い」こと、AVの仕事はお金を得るための最短ルートであること、などを話した。

身体にコンプレックスがあった私は、人前で身体を晒す勇気はないこと、ポルノは時々見るが、興奮よりも世の中にはこんなにきれいな身体の人が多いのだな、と感心してしまうこと、男性向けのポルノは随分とドラマチックに見えることなどを話した。(私はポルノはダークファンタジーだ、と言ったのだと思う)ポルノを否定されたと感じたらしいS君は、「ポルノに出てても出ていなくても、可愛くない女の子などこの世に1人もいない」と何故か怒り出し、次々とレモンサワーを空けていった。

彼は「何人か」の彼女がいること、それ以外にもたくさんの女の子を支えていること、みんな裸にコンプレックスがあるけど、とても素敵であることを興奮気味に話す。70歳の老婆も、18歳の女子大生も、脱ぐとみんな可愛い。

私は、人に見せる身体を作ろうと思うと疲れてしまうから、ポルノの世界は随分と遠いと話す。コンプレックスがあるなら僕が裸を見てあげようか、と言う。なぜかその言葉が私の逆鱗に触れ、レモンサワーを2杯注文する。レモンサワーをチェイサーにして、レモンサワーを飲むためだ。時刻は朝の8時。A君が途中に仕事の愚痴を挟み込むが、S君と私はレモンサワーを煽り始め、私は急な熱で会議に出られないと会社に電話をし、彼との本格的な「言い争い」が始まった。

あなたに裸なんて見せてどうなるのか、肯定なんて自分でやるものだから誰かに求めてなんていない。

ちゃんと女を知る男にしか女をきれいにできないことがある、フィルムやカメラを通すことで初めて開花する美しさがある、どんな女も、男に身体を肯定され、愛されたいと欲している。今の自分は可愛いの、それで。

どの女もって別に私はそうじゃない、見てほしいと私からあなたに言うならまだしも、脱いで肯定されるなんてまっぴらごめんだ。見てあげようか、って言い方がまず気持ち悪い。

結局誰かの1番の女になりたいんだろう、不貞腐れてても男に「今まで出会った女の中で1番いい女だ」って肯定されたら可愛くなってしまうんだよ。その時を待っているくせに。してくれる人見つからないなら、この後、僕が見てあげようかって言ってるの。きっと可愛いよ、脱ぐとあなたも。

時刻は10時を回り、居酒屋の朝営業の時間は終わりを告げる。A君は午後から仕事だから、このまま職場へ行くと言う。何杯飲んだかわからないが酔いも無く、飲み足りない。強烈な眠気に襲われる。ふらふらと会計を済ませた後にすでに明るくなった街にでると、ホテルのチェックアウトをしなければいけないことを思い出す。西新宿方面に歩き始める。S君はシボレーカマロの中で寝ると言うので、あぁそうですかと不貞腐れながらお辞儀をし、ホテルに戻りチェックアウトを済ませる。仕事もすっぽかした上、後になって回り始めた酔いをどこかで覚まさなければならなくなった。

とんでもない1日になってしまったと思い、ホテルの近くの公園で煙草を吸う。「今まで出会った女の中で1番いい女だ」と言われたくない女なんているんだろうか。言われたいに決まっている。言い返す言葉なんて浮かばない。比較されたくないくせに、比較されて1位になりたいのだ。すると、A君から電話があり、Sが待ってるからシボレーカマロに戻ってやってくれと言う。

旅行バッグを抱え(かなりの苛立ちも抱えている)、歩き煙草でシボレーカマロが停車していた場所にまで戻ると、缶ビールを飲んでいるS君が「よぉひさしぶり、いつぶりだっけ」と笑顔で言う。あまりのくだらなさに笑ってしまい、酔いを醒ましたいので散歩しようと提案すると、「さっきは悪かったから、歩こうよ。腹空かせたら昼飯奢るよ」と言う。

あてもなく歩き始めた私に、彼はポルノは劇薬だけど特効薬だよと言う。私は「底無しに優しい男の人は怖いから苦手」と正直に彼への印象を伝える。正午を過ぎた新宿は日差しが強く、彼はまぶしそうに笑いながら歩く。屈託なく笑う彼は女の「何もかも」を知り過ぎている。そして怖い人だった。女性との距離の取り方や、アテンドする時の言葉使いに躊躇が無い。何のうしろめたさも無く竹を割ったように笑ったり怒ったりし、そして底無しに優しい。多分彼を頼る女の、心も身体も全て受け入れている。その懐の深さは夜闇に似ていた。優しさは、いつも明るいわけじゃないのだ。

彼が「みんながあなたみたいに強いわけじゃない」と言うので、裸を見せるのとは違うけど、1枚写真でも撮ってよと言うと、シボレーカマロの車内にポラロイドカメラがあると言う。私たちはまだ酔っていて、ふらふらとまたシボレーカマロに戻る。90年代のシボレーカマロは昼過ぎに見ても精悍だ。コインパーキングの精算機の横で不機嫌そうに立つ私に、「ちゃんと笑って見せてよ」というので、旅行バッグを赤子を奪われまいと抱くようにして笑うと、1枚撮ってくれた。写真に写る私は眩しそうにしかめっ面をしていて、全く笑っておらず精算機よりも背丈が小さい。「僕のことも撮って」と言うので、なぜか場所を入れ替わり、今度は彼が精算機の横に立つ。彼も精算機より小さい。凛とした笑顔で立っているので、一瞬の気の緩みを待つ。撮影した彼の顔は、やはり竹を割ったような笑顔だった。私たちは記念にと、写真を交換する。軽くうどんでも食べよう、と言いながら私たちはお互いの写真を弄び、再び歩き始めた。



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