他人と分かり合うということ

単刀直入に結論から言うと、他人と分かり合うということがこんなにも難しいものであるのかと、こんな歳になって思いもよらない壁にぶつかった。

正直他人に自分の主張や考え、思っていることや想いを理解してもらうことはそう難しくないと本気で思っていた。
物事を理論だてて順序よく説明し、そこに感情や思想を混ぜて相手に理解してもらう。そこに議論が生まれてお互いを尊重し合い時に妥協点を共に導き出し、ときにどちらかの思想に揺れ動く。そういったことがとても好きだったし得意だとも思っていた。今までだって他人とそうやってなにか問題やすれ違いを解決してきたし、時には他人の間違った道を、自分の間違った道を、修正してきた。

そう本気で思っていた。

だがしかしそういった今までの自分は、少し自惚れていた、もしくは周りに甘えていただけなのかもしれないと思うことが多くなってきた。
いや、現に今までは比較的本当に上手くやれていたんだと思う。ただ、正しく詳しく言い直すならば、今まではある程度同じような環境で育ち、ある程度同じレベルの教養を備えたコミュニティにしかいなかっただけなのだと気づいた。もしかするとそれ以外を無意識的に排除していたり、排除されてたのかもしれない。相手の主張を理解し整理した上で自分の感情や今ある現状と混ぜ合わせ自分の主張を投げかける、そこで生まれた相違から思考し、自分の意見に間違いや劣りがあれば受け入れ、相手の意見に間違いや劣りがあれば相手がなぜそういう思考に至ったのかを推測し、相手が納得するファクトを用意した上で思いやりで角を落として投げかける。
そういった文字にすると長々しくくどくどしいことをある程度無意識下でできることを前提として僕は生活してしまっていたのかもしれない。少なくともそう感じている。

ここ2~3年、僕は急激に生活の環境が変わった。生活の拠点を実家やバンドの拠点がありいままで深く交流してきた友人のいる北摂からなんばへと変えた。関西学院大学という大学をやめ、大阪のど真ん中で少し変わった仕事を始めた。

いままでずっといっしょにいた友達とはほとんど合わなくなったし、バンドメンバーに会うことも入り浸っていた豊中のライブハウスへ行くこともかなり少なくなった。

別にだからどうということは無い。環境が変わっただけでどっちがいいとかそういうことをいいたいわけじゃない。

ただ、事実として環境が変わったというだけ。

話を戻すと、ぼくはこの2年ちょっとでいままで出会ったこともないような人間と山のように
出会ってきた。ぼくがいままで関わってきた人たちからすると漫画の中のお話のような境遇をたどってきた人だったり、今まで関わってきた人たちとは脳みその思考回路がまるでちがうのではないかと思うような人にもいっぱいあった。

そういう人たちはみんな、とんでもない地雷を抱えていたり、びっくりするくらい会話が成立しなかったり、笑いのツボが全く合わなかったり仰天無神経だったりさまざまだった。とんでもない思考回路で恨まれたり嫌がらせを受けたりもしたし、なんでなのか想像もつかないような思考回路で慕われたり尊敬されたりシンパシーを感じられたりもした。

今あなたが考えたそう言う人たちがどうだとかおまえの考え方はどうだとかどちらサイドが上だ下だなどというそういった話は今回の論点ではない。

ただ僕はそういった人たちのことも理解したかったし僕のことも知ってわかって欲しかった。

これは誰だって分かり合えるはず☆みたいな反吐が出る偽善的なそういうのではなくて、単純に僕の知的好奇心とエゴからくるものである。

ぼくはそういうぼくとは違った頭の構造をした、これは決して見下したような意味ではなく僕なんかよりずっと頭が良い天才だってそうで、

純粋にぼくには想像もできないくらい全く違った思考回路をもち、思想だったり常識だったり考え方が全く違った人の頭の中を見てみたいとおもった。その人たちがどういう経緯でその思想、思考に至ったのかを理解したかった。んで僕の頭の中や思想を知って欲しかったしそれをおもしろいと思って欲しかった。

ぼくは好きな人であればあるほどその人の思想思考を理解したくなったし僕のも理解してみて欲しくなった。好きな人であればあるほどその全くの違いをおもしろいと思ったし魅力的だと感じた。その全く違う考え方や思想を理解することで僕の人生が豊かになっていく感覚がたまらなく好きだった。だからこそ好きな人にはこの感覚を知って欲しいと、面白いと思って欲しいと思った。

僕は他人の主張や思想を聞くのが好きだ。それを踏まえて自分の考えや思想とぶつけてみるのが好きだ。自分の未熟さが見えたり自分の知識や考え方が豊かになったり、時には自分や相手の思想が変わったりするのがとても好きだ。

だからこそ大好きな人には自分の思想や思考をまずしってほしいのだ。受け入れる受け入れないのはなしではない。心を打たれる打たれないのはなしではない。まず向き合って理解して欲しかった。

ぼくはこの感覚が強すぎるのか、現時点で理解が難しい事柄や思想、未知のものや感覚に対して思考することをあきらめてしまう人や自分と違う思想や思考だと拒絶しシャットアウトしてしまう人にもやもやとしたもの、むしろ苛立ちに近いものを感じてしまうところがある。

自分の思考思想の範囲外のものはたしかに怖かったり気持ちが悪かったり受け入れ難いところはある。
とてもある。
ただ、相手の立場になって気持ちになって考えると、議論や聴取をすすめると少しずつだが理解出来て来ることがほとんどだったりする。それを僕と同じくおもしろいと思わなくても別に全然いいし、それを理解した上で「気持ちわりぃ〜笑」となってもそれはそれで全然いいのである。それは前述の気持ち悪いとは全くの別物、全く質の違うものであることにここまで実践する人なら気づいているとも思う。それを踏まえてやはりあえて言うと、それってやっぱ凄くおもしろいとおもうんだ。


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