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インプットの種はいつしか繋がり、大きな森となる

私はWikipediaを読むのが好きで、学生の頃からよく暇な時間に読んでいました。おそらく1000時間以上は軽く読んでいるんじゃないかなと思います。

Wikipediaは、インターネットの知識が集められた広大な図書館だと私は思っています。基本的に、Wikipediaは二次情報に基づいて書かれているので、十分に成熟した記事であれば、その情報は多くの人が発表した文献の上に成り立っているのです。

こうして成熟した記事は非常に読み応えがあります。例えば、紀元○世紀の記事は、世界中の歴史が時間軸という一つの視点から並べられており、非常に多種多様で雑多な知識を得ることができます。Wikipediaは各記事が森のようにリンクされており、次から次へと色々な分野の知識を飛び移るように読んでいけます。

こうしてインプットしたものごとも、まあほとんどの内容は忘れてしまうんですね。でも、ふとしたきっかけでその情報が引っ張り出されることがあります。

例えば、猫をケージに入れようかな……と思ったら現代作曲家のジョン・ケージのことを思い出すとか。

雑多なインプットをいつでもどこでも無料でできる場所として、Wikipediaほど最適な場所ってなかなかないと思います。

インプットはいつしか言葉を操る力となる

色々な専門的な言葉や世界を目にしていくと、徐々にその分野の〇〇を調べるときに軸にすべき単語、というのが分かってくるんですね。例えば、とりあえず適当な人名を引っ張ってこようかなと思ったら北欧神話かギリシャ神話から引っ張ってくればいいし、3Dプリンターで材料工学について調べたいなと思ったら「強度計算 CAD」とかで調べれば出てくる。

Wikipediaをきっかけとして、図書館で本を借りて読んでみたり、映画を見てみたり、Googleで検索を掛けてみたりすれば、さらなる知識が簡単に得られるようになります。「どうやったらその知識にたどり着けるか」というのを知っていれば、別にその知識を覚えておく必要はないんですね。

場合によっては、Obsidianにメモとして残しておくこともあります。

こういう連想ゲーム力ってAIを操るときに最も求められる能力になっています。
例えばAI画像生成の画風指定なんかはどれだけインターネット上に画像がたくさんある画家の名前や、美術史の用語を知っているかになります。
服装を指定するなら、服飾用語をどれだけ知っているか、また服飾の名称を英語でまとめたWebサイトがどこにあるかを知っているかどうかで差がつきます。

でも、これって「どうやったら調べられるか」や「そもそもそれに名前がついている」ということを知らないと調べられないんですね。場合によっては、日本語にその概念が翻訳されていないことも多々ある。

AIにプロンプトから何から全部指定させて生成するという時代にはなかなかならないと思います。現在の資本主義社会の株主は人間だし、人間を納得させるような結果を出させるようにAIの手綱を引くのは人間だからです。評価をするのが人間であるし、お金を出してくれる人間を納得させるような結果を出さないといけない以上、結局過程のすべてをAIにやらせるような時代には当分到達しないんじゃないかなと思います。もちろん、アニメの絵の補完とか、シナリオ生成とか、そういう部分は自動化されていくと思いますけど、AIにシナリオを書かせて絵も描かせて音楽も作らせてそれらのコントロールもAIにやらせて……という部分まで統合的にAIに任せる、という時代はしばらくは来ないと思います。作品としての統合感や、社会に作品を売り出すときの炎上管理の倫理観といった部分までをAIがすべて管理できるとは思えないし、私が広報だったら怖くてそうはできない。実際、悪意のある人間がChatGPTのjailbreakを初日で成功させているし、今後もAIがこういう使い方をできてしまう以上は株主の顔色を伺わざるを得ないでしょう。この仕組みは、AIの発展よりもずっと変わるのが遅いと思います。

だから、結局この先数十年間は、AIの最後の手綱は人間が握り続けると思います。その分、AIに指示するための言葉や絵を操る力がこれからのものづくりではすごく重要になっていきます。コンピューターに入力として使えるデバイスは、おそらくこの先10年経っても大して進化しないでしょう。せいぜいVR機器が多少使いやすくなる程度だろうと思います。その頃には3Dも入力して使えるようになるかもしれませんが、現状の知識は言葉や絵としてコンピューターに入力するしかありません。

論理的な言葉が必要になるからこそ、国語だけでは不十分で、今の文科省はプログラミング教育をやっているし、インターネット上の公用語である英語教育にも力を入れている。どんなに翻訳機が発達したとしても、英語にしかない表現や、英語の文化との違いがある以上は、AIを極めるのならどこかで英語を学ぶ必要が出ます。

現状、私はAI画像生成にどっぷりと浸かっていますが、今までWikipediaやらなんやらで得た知識が思いがけず役に立っています。言葉を使いこなすのがうまい人であればあるほど、今のAI画像生成は相応に使いこなせるはず。

もしAIを使いこなしたいのなら、学ぶべきはプログラミングや数学だけじゃないです。国語も、英語も、社会も、理科も、この世のあらゆる文化と学問を学ぶことが重要になっていくのです。

キャラクターの創作費に使わせていただきます。