稚拙な技術のアウトプットを抑制するのはリスクのほうが大きい

以下のような記事が1年ほど前に書かれ、先日Twitterで引用されて広まっている。

この元記事で主張していることと、この記事を読むことによる効能が矛盾しているというのが本稿での主張である。

元記事は逆効果である

元記事のような注意喚起は、元記事で述べられている

・別の製品や方式を使うことで、簡単に実現できること
・使い方によってトラブルを起こす危険性のある使い方
・特定の言語や製品等でできることを「できない」と表記する、あるいはその逆
・学習題材としての技術と、業務で使うべき技術の混同

IT関連の技術を「気軽にアウトプット」する危うさ|たかぎ

にあるような、品質の低い情報を発信する層が情報発信することを止める方向に働かない場合がある。

なぜ、むしろ良質な記事が減ってしまうのだろうか?
これは、ダニング=クルーガー効果で説明できる。

ダニング=クルーガー効果とは、ある程度勉強を始めて知識がついた段階が自己評価がもっとも高くなるという認知バイアスである。これに基づけば、上記記事を読んで「私は知識が十分にあるから積極的に記事を発表しよう」と思うのは、むしろ知識の少ない人である

これは、自己評価と客観的な知識の評価に差があるためである。

つまり、「知識が十分にないのに記事を書くべきではない」という主張は、ダニング=クルーガー効果によって

  • 知識が少ない人はむしろ積極的に記事を書く

  • 知識がそこそこある人は全く記事を書かなくなる

  • 知識が豊富な人は少しでも知識がない分野については萎縮する

という、元記事で批判していた内容とは真逆の効能を生み出すのである。

どうすればよかったか

全体の知識レベルを上げるには、「誰でも知識を積極的に記事を公開する」というのが合理的である。

初心者は自分の持つ知識に対して客観的に評価できないため、書いた記事がBad Practiceかどうかは他人から指摘されるまでは判断できない。また、中上級者だったとしても、ある程度Bad Practiceに関する知識はあっても、無償で公開する内容では査読者を用意するのはかなりむずかしい。

特定の基準にのっとったうえで良くない記事が公開されることを抑制することはインターネットの仕組み上難しいと私は考えている。もしそれが可能であれば、Googleの検索は今よりもっと良くなっているはずだし、世の中のすべてのスパムはそのフィルターによって除去可能であるからだ。

それよりも、誰でも積極的に記事を公開することを推奨する土壌を作ることで、初心者のうちから発信する訓練をし、自信をなくしがちな中級者の記事を増やし、上級者も萎縮せずに記事を書ける環境を作ることで、良質な記事の絶対数を増やすことのほうが重要だと考える。

良質な記事を積極的に共有し、Bad Practiceが含まれる記事にはコメントや別記事での注釈を入れることで、全体として良質な記事が閲覧される確率は上がっていくと考える。(良質な記事の共有はSEO的にも有益である)

結論

知識がない人の記事の公開を抑制することは、ダニング=クルーガー効果によって良質な記事が公開される割合を落としてしまう。

知識の多寡を問わず、記事を公開するほうが、結果として良質な記事の割合も絶対数も増えるので、誰でも記事を積極的に書く土壌を作るべきである。

感想と余談:悪い記事に触れて耐性を得る

私も初心者の頃から結構登壇したり、Qiita書いたりしていました。色々間違ったことや怪しいことも言ったりしてて反省してるところもありますけど、結局発信しないと発信する内容の精度を上げていくのって難しいんですよね。

もちろん、SNSの数字取るために情報商材見てそれの単語並べてるような人が出回ってるのを見るのは眉唾ものですけど、そういうところに漂う「なんとなくの怪しさ」ってちゃんと学習してる人ならなんとなく気づいてくると思うんですよね。

そういうのに気づくためのきっかけって、結局ある程度毒も飲んでないと分からないというか。それこそ、陰謀論とかもある程度読んでおかないと、それに対する批判のしかたを自分の中で持てないと思うんですよね。

良いもの、悪いものに対する評価軸を自分の中で適切に持つためには酸いも甘いも噛み分けるのが必要だと思います。

そういう、怪しさへの知識って早い段階で一度そういうものを信じ込んでから騙された! ってなったほうがダメージ少なくて済むと思います。

だから、Bad Practiceな記事が増えることは歓迎しませんけど、そういう記事も読むこと自体は耐性を付けるためには必要だと思います、という余談でした。

少しでも共感してもらえたら嬉しいです。


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