見出し画像

田中さんは山田さん(仮名)かTさんかAさんか。

怪談本には体験者の名前を別の苗字などを使って(仮名)としたり、アルファベットのイニシャルで書かれたものが多いのはご周知のとおりですが、双方にそれぞれの味わいがあり、どう書くかはつまるところ書き手の好みなのだと思っています。そのどちらかに統一されている作家さんもいれば、作品(本)によって書き分けている作家さんもいらっしゃると思います。
また読者側にも、どちらの方が好みだとか、内容にすっと入り込めるとか、怖く感じるとか、さまざまな感想があることだと思います。
ぼくも両方のパターンで書いてきましたが「勿忘怪談 野辺おくり」ではアルファベットのイニシャルで統一しました。
思い返せば、怪談文芸の一読み手(ファン)だった頃から、新耳袋などに見るAさん、Bさん、C君という書き方に面白さを感じていました。
〈ページを開いたときにぱっと目に入る〉地の文の(それが随筆調であれ、シンプルな文章であれ)所々にぽつりぽつりと置かれたアルファベットが醸す〈違和感〉と、目で見た場合の、言葉の連なり文章のリズムの微かな〈引っかかり〉のようなものが、すでに、そこに描かれる世界の捻じれのようなものが前振りとして表現されているように感じたからです。
極端な一例かも知れませんが「武士のAさん」といった表現などには、不気味さとともに何重にも捻じれた面白さを感じるのです。
翻って、(仮名)として実際に見聞きする苗字や名前を使った怪談には、先に書いたアルファベットのイニシャルが醸す違和感やリズムの引っ掛かりを省いた、読者と地続きの雰囲気、リアルな味わいがあると思います。
いうまでもなく、どちらが良い悪い、正しい間違い、という話ではありません。
つまり繰り返しになりますが、どちらにもそれぞれの魅力があり、どちらで書かれた怪談も面白いということなのですよね。
脈絡のない駄文になってしまいましたが、ツイッターの140文字ではちょつと書ききれないと思ったので、こちらに書いてみました。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?