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アクラシア

古典的なマズローの五段階欲求説は、その名前が示唆するように、下位の欲求が上位の欲求の必要条件になっているようなニュアンスがある。だとすると、必ずしもこのモデルが正しいとは考えにくい。例えば、自己実現の欲求が生じるために、必ずしも承認欲求が満たされている必要はないのではないか。しかしともあれ、最下位に生理的欲求、その次に安全の欲求が置かれているのは納得できるし、本質をついているように思う。

欲張って修士課程の授業を取りながら、卒業研究の広がりには収拾がつかず、自分から連絡を取って始めた共同研究は手つかずのまま。身体は頑丈な方だと思っていたが、気づかないうちに溜まった疲れが全ての作業に緊急停止信号を出した。

朝起きてちょっとした違和感をおしりに感じた。最初はそれだけだったが、2日もすると座れないほどの痛さになった。波があったから、寝ればすぐ治ると思っていたが、結局1週間後に熱が出て緊急外来。肛門周辺膿瘍と診断され、翌日手術になった。

「肛門周辺膿瘍 手術」と調べると、痛々しい地獄のような話が際限なく出てくる。これらを手術前に読むと身震いがして本当によくない。だからここで強調しておきたいが、手術は痛くない。痛くないようにしてくれる。症状によるが、私の場合は下半身麻酔だったので、何も感じないまま終わった。麻酔の注射も全く痛くなかった。

こうして、とりあえずはフィンランドの社会保障に助けられた。しかし、そこから完治までの道のりがどうも長い。しばらく体調の悪い時期が続き、家の外に買い物に行くのが精一杯の日々が続いた。今日現在は運動ができるまでに回復したが、時々生活に不自由があり、治療はまだ続いている。

卒論は妥協して区切りをつけ、研究助手のサマージョブは諦め、身体の気遣いを最優先した。生理的欲求、安全の欲求が満たされていないと何もできない。ましてや、何かをやりたいとも思わない。とにかく身体が元通りに治ることを欲する。

人間はわかっていても十分に自分をコントロールすることはできない。この問題は、古代ギリシャの時代から、「アクラシア」として知られていた。健康であることがどれだけ幸せか分かっているつもりでも、無理をして自分の身体にムチを打ってしまうのだ。

肛門からの停止信号で、健康と安全の幸せを噛みしめると同時に、考える時間が与えられた。思い返せば、肛門以前の生活における認知負荷はたいへん重いもので、自分が本当に考えたいことと向き合う時間は限られていた。しかし、研究に「作業」はつきものだし、ケプラーのような偉大な発見は、ティコブラーエのような偉大な作業に支えられていた。まだ研究者の卵である私は、加えてトレーニングもある程度こなす必要がある。こういった作業やトレーニングと、じっくり考えて学問する時間は、分けてバランスをとる工夫が必要そうだ。

このバランシングは慎重に行わなければならない。しかし、分かっていてもまた無理をしてしまう、そんなアクラシアが容易に想像できてしまう。そこで、テクノロジーを使ってみるというのはどうだろうか。堀内進之介は、『データ管理は私達を幸福にするか?』で、技術による自律性の補完という論点からデータによる自己管理を評価している。もちろんすべてのデータ管理が自律性を促進するのではない。具体的にどのような設計が倫理的で、どのようにして自律性を促進するのかは、十分に議論されているとは言えないが、堀内氏の議論を念頭に、作業時間を管理するアプリを使ってみることにした。

作業時間や勉強時間を記録して管理するアプリはたくさんあるが、受験生の頃に使っていたStudyplusを再インストールしてみた。Studyplusは、ここ10年での累計会員数が800万人以上(2023年10月8日アクセス)の人気データ管理兼ソーシャルメディアアプリである。はたして受験生の自律性を促進しうるのか分析するためにも、改めて自分で活用してみようと思う。

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