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歯磨き

肛門周辺膿瘍の手術をしたのは6月。1ヶ月の病気休暇。計画していた夏のインターンもやめて、秋学期の授業を減らした。時間がたっぷりできて、パソコンに向かって思う存分やりたいことがた。おかげさまで、研究活動も順調すぎるくらいだ。

しかし、膿瘍だったところが今度は痔ろうになった。日が短くなるのと同時に、見事に気持ちも沈んでゆく。太陽は神様だ。

いま振り返れば2023年後半はいままでの人生でいちばん憂鬱な時期だった。肛門が痛いと何もできない。気晴らしに友達と一杯、ができない。思い切って海にダイブ、ができない。

でも、あえて前向きに捉えるならば、自分の心身との付き合い方を心得る時間だった。お酒を飲んだりサウナに入ったり、一時凌ぎのバランス維持は非常に脆い。週末サウナや週末キャンプ、消費的な自律神経の調整を卒業してマインドセットする必要がある。

ではどうするか。古代ギリシャ人は人間の「ダメさ」をアクラシアと呼んで認知していた。法然は、苦行によって人間のダメさ克服することを否定し、むしろそのダメさも受け入れた上で阿弥陀仏を信ぜよと口説いた。考えても仕方がないし、コントロールしようとしても仕方がないのだ。

朝起きて顔を洗って、水が顔に当たるのを感じる前に、頭で宿題のことを考える。これではいけない。寒い時は震え、暑い時は汗をかく。私は特別に仏教徒ではないが、法に然る(法然)というのは大切だと心得る。

そう考えると、フィンランドの冬が辛いのは、単に暗いだけではない気がしてくる。一年中室内の気温が一定に保たれていること、それは生産性を上げるが、身体性を遠ざける。冬が寒いことを忘れ、季節の変化に鈍くなり、然るべき「法」から簡単に脱出可能になる。そして余計な思考の中に埋もれていく。そこには、部屋に閉じこもることで頭に閉じこもってしまう、という構造があるのだ。冬は窓が凍り、夏は保冷剤を脇の下に挟んで寝る、エアコンのない実家の自室が少し恋しくなった。

お尻が痛くて部屋から出られなくても、せめて頭の中からは脱出するための提案。せめて歯磨きは外でしたらどうだろう。起床後、そして就寝前、マイナス20度でも羽織れば5分は耐えられる。指が半分凍るくらいがちょうどいい。

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