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no.1 ”噛み合わない人”

今回の題は
『 噛み合わない人 』


私が働いているのは都内のアパレル
服をネタとして
不特定多数と物理的に会って話す職業です。

そこでは昨日まで知らなかった
色々な個性を持った人(お客さん)と出逢います

金遣い荒いのに働いている気配が全然見えない人
謎に斜に構えてる人
やたら会話上手で接客慣れした配慮が見える人
愚痴と自慢が好きで、寂しがり屋なのが漏れてる人

などなど。


何回も何回も接客することで得るものは
必ずしも良いことばかりでは無く


記憶に残るのは成功体験よりも失敗体験。
購入なら勝利、逃したら敗北がアパレルの世界。


会話の中で
相手を気遣う想像力が足りなかったり
技術不足・知識不足で落ち込み、”自分が” 嫌になる瞬間は
勿論沢山ありますが、

”想定外の言葉が刺さって傷ついた”
”他人の愚痴ばっかりで辛い”
”会話のリズムを合わせてくれない”
”顔で態度を変えてくる”
”明らかに下心ある目線で不快になる”


みたいな嫌〜な感情を”相手に”抱くこともまぁあるわけです。


相性が悪い、タイミングが悪い、運が悪い。



どうしても私と『噛み合わない人』はいる。



ところが

アパレルから離れて
しばらく経って気付きました、
そういう「噛み合わない人」との出会いこそ

かなり貴重だったのだということを。


不快な思いをしたことも、
恥ずかしい思いをしたことも、
会話をつなげられなかった時も、


その後の自分にとって
クリティカルに自分の為になっている事象はむしろ

”噛み合わないことで生まれている”
気がしているのです。



自分の嫌なところに何かが触れている、
その感覚は
仲良しの友達との一日では気付きません。

一度しか出会わない人と出会い、会話し、
体験として自らの体に刻み、
人とのつながりで生まれる痛みを食らうこと。


メンバーが決まっているグループやコミュニティでは
そんな新しい刺激を繰り返し受けることは少ないでしょう。



眠っていたコンプレックスを掘り起こしたり
自分なりのポリシーを決めるきっかけになったり
反面教師として普段の振る舞いを反省したり


『理解されていない、理解できない相手だからこそ
 触れられる自分の内面もあるんだ』

そんな不思議なことを感じた今日この頃でした。


end.




















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