見出し画像

勇気をだして歯医者にいったはなし。

わたしは歯医者が苦手だ。それはたぶん、こどもの頃の記憶からなんだろうけれど、歯医者はいつだって恐怖の対象だった。

その昔、母に連れられて幼稚園の近くの歯医者に通っていた。なにをされるかわかっていないわたしはただ怖くて、泣き叫んだ。大人数人で押さえ付けられ、無理矢理に口をこじ開けられた。

それが歯医者のはじまりの記憶で。こどもだったわたしが歯医者を嫌いになってしまうのも仕方がないと、大人のわたしがなぐさめている。

そうして大人になったわたしは、定期的に歯医者に行くこともなく順調に虫歯を増やしていった。
究極まで我慢をしてはなんとか歯医者に行くものの、治療が完了する前に通うのをやめてしまう。きっかけは本当に些細なことで、予約がとれなくてそれっきり、とか。それを何度も繰り返した。

ここ数年になってようやく虫歯を我慢するのではなく、虫歯ができないよう努力すべきだと気付いたのだが、時すでに遅く。歯は、わたしの立派なコンプレックスに成長していた。

「今年は絶対に歯医者に行く」と自分に言い聞かせて1年。痛いのも嫌だし、怖い。それよりなにより恥ずかしかった。まともではない口の中が。女なのに、とか、いい大人なのに、とか。
でも、だからこそわたしは歯医者に行かなくてはならないのだ。予約の電話を、トイレでした。ここでしなければ一生しないと思ったから。トイレで。おしりを出したまま、意を決した。


当日、緊張してお腹を下していた。便秘気味だったのですっきりはしたが、しかし緊張は解けないまま、歯医者の診察台に寝そべっていた。
わたしがあまりにも深刻な顔をするものだから、歯科助手のお姉さんが「大丈夫ですか?」と聞いてくる。先生にも「そんなに緊張しないで。」と声をかけられたが、そんなものは無理な話である。これから痛いことをされるのだから。

と、思っていたのだけれど、歯をチェックしながら先生は頭をかしげた。どうもわたしが痛いと言っている左上には虫歯が見当たらないらしい。

いろんな原因が考えられると説明された。隣の親知らずが圧をかけているとか、上下の歯を錯覚しているとか、顎の痛みだとか、噛み締めや歯ぎしりの影響とか、とにかくたくさんの原因の候補があがった。
歯医者でこんなに話をしたのは初めてだった。

「…じゃあ、歯茎とか?」

「うーん、歯茎はねぇ、すごくきれいなんだよね。」

瞬間、わたしは泣きそうになった。

うまく説明できないけれど、わたしの口の中に、まだほめられるところがあった。口を開けるのは恥だと思っていたし、勇気がいることだったから。

結局、噛み締めや歯ぎしり説が濃厚だったのでマウスピースを作ることになった。口の中にピンク色の粘土みたいなものを突っ込まれるのにはオエッとなったけれど、ドリルで削られると身構えていたわたしには拍子抜けしていた。

その日の歯医者は、こわくなかった。

ほんの少しだけ、わたしのコンプレックスが軽くなった気がする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?