帰巣本能に苦しめられる人もいる(愛着、アタッチメントの話)
3日もインターバルのあるスプリット連休のせいで、完全に正気に戻ってしまって明日からまたお休みです。4連休なんだけど、4日午後に婦人科受診となったので、結局帰省は一泊二日の予定になりました。連休感はほぼなくなっちゃったけど、連休も開けててくれる婦人科に感謝です。
さて、お正月に実家でとても嫌な気持ちになり、そこからほとんど実家との連絡をとっていません。嫌な気持ちになったのは、結局私のこと何も信用も心配もしていないんだなと思わされる母の対応によるのですが…
思えば、実家に休みに帰っても、実際に休まって帰ってきたことは一度もなかったなと、実際はもっと前から気づいていたけれど、そのとき自分を大切にする選択をちゃんとするための決意をしました。
実家に帰ると、母に気遣い、欲求をぶつけられて、嫌々ながらも応えて、なんだか疲れて帰ってくる。母からは、毎日のように帰っているかとか、ちゃんと食べているかとか、忙しくて疲れていないかとか、心配LINEが送られてくるけれど、その心配を信じて帰省しても、帰るなり愚痴を聞かされ、困っていることへの対応を求められ、ゆっくりする時間を与えてもらえない。結局、心配されているように見えるLINEも、本当に心配ならなんか送ってくるとか、帰ったときに栄養のあるものを食べさせようとするとか、あるよねってものが何もない。単に信じてもらえていないんだろうなと思えてくる。
心配と言う以上、その瞬間は本当に心配して言ってくれているのだろうし、悪気があって色々ぶつけてくるわけではないだろう(信頼しているから、かもしれない)と思う。でも、受け取るものから感じられるものは苦しいから、なるだけ受け取らなければならない場所にいかないようにするのが良い、その方が母に対して良いイメージを保つことができる、と思うに至りました。
疲れたときに母や実家を思い、帰りたくなってしまうのは人間の本能とも言えることです。帰巣本能。赤ちゃんの時から変わらず、不安やストレスが溜まってくると、身近な、自分を最も守ってくれるはずの存在に、人はくっつこうとする。それが愛着(アタッチメント)システムといわれるものです。
不安なときに守ってくれるものにくっつくと、安心感や安全感が得られる。そういう説明が可能なタイプの人が最も多いものの、残念ながら愛着システムは生まれた時に所与のものとしてあるわけでなく、実際の人間関係の中で作られるものであることから、いくつか別のパターンのシステムを得ることになる人たちもいる。
安全感を得られる人たちを安心型というのに対して、別のパターンは不安型と言われます。不安型は、母親に安全を求めてもうまくいかないという経験やそれに基づくイメージをもっていたり、どうせうまくいかないからと、愛着システムを軽視して、一匹狼であろうとする。
私は経験的には確実に不安型です。求めてもうまくいかないと知っていても、求めてしまってネガティブな気持ちになる。求めなければ楽なのかもしれないけど、そうもいかない。期待をする分ガッカリをより大きく感じているフシもある。勝手に愛情の借金を積み上げられた気持ちになって、返せよという気持ちで相手を見てしまうので、何もなくてもなんで愛情もっとくれなかったのだと不満に思ったりする。
とっても悪循環なことが起こっているのだけど、その悪循環に気づいても、心の深いところから出てくる感情は止められない…
苦しいシステムです。
実際、全く帰らないと面倒なことになるので、感情が最大限安定する範囲で、帰省しようということになりました。
不安型の経験をもつ人が唯一救われるのは、自己内省を深め、経験の捉えなおしをできた場合だと言われています。
そうしたことの支援について学びつつ、まずは自分が、愛着システムによる混乱から自分を守れるようになろうということをここ数年目標にしています。いつか同じ問題で苦しむ人を効果的に支えられるようになれればよいなと思っています。
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