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眼科に行ったら世界がよく見えるようになった話

なんてありふれたタイトルなんだろう、と思う方もいるかもしれない。私もそう思う。
でも、後から考えると、眼科に行くまでの私と眼科から帰る私には見えているものが違ったのだ。

眼科に行ったのは、目の下瞼の裏に謎のできものができたからである。痛みはない。

家の近くの眼科に向かっていると、途中で道路工事をしていた。
その脇には恰幅のいい工事業者の方が立っていて、歩行者を誘導していた。

冬の季節に立ちっぱなしも大変だろう。あまりよく記憶に残っていないのだが、仏頂面だったような気もする。
そして黄色と青の作業服を着ていた。

工事箇所を通り過ぎてすぐ眼科に着く。
思いがけず混んでいて診察が終わるまで1時間ほどかかったか。
平日だったので早く仕事に戻らないといけないと焦っていた私は少し機嫌が悪くなっていた。

病院を出て行きと同じ道を通ると、当然例の工事現場を通る。
しかし、行きと違ったのは、私のすぐ前を保育園の先生が子どもたちが複数人乗ったカートを押しながら歩いていたことである。

ふと横に目をやると例の黄色と青のおじさんがニコニコとその子どもたちに手を振っている。

ーーーあれ、この人こんな顔だったのか。
少し色黒くて、目尻は少し垂れ下がった優しい顔。
よく見ると誘導の動きもとても滑らかなのである。誘導する人に合わせて道を開けたり、方向を指で指し示したり、細やかな気遣いをしてくれている。

何が変わったのか?
まるで道路の工作物かのように勝手に私が思っていた案内員の人の人間的な側面に思いがけず触れたことで、その人を初めて友人と同じように「人」であることを明確に認識したのである。
それによって、さきほどは体型や服の色などの外形的な特徴しか把握していなかったところを、その人の行動や人間性に思いを馳せるに至った。

ここがまさに私が「世界がよく見えるようになった」と書いた理由である。

私は普段電車に乗っている人たちの人間性をどれだけ「見て」いるのか?
仕事をする時、相手を「評価者」「クライアント」「作業してくれるメンバー」などの機能的な側面で見ていないだろうか?

もしかしたらこの世界に生きているようで、周りにいる人たちの人間性は全然見えていないのかもしれない。
あるいは、人間性を発揮する瞬間は現代の都市生活においてとても希少になってしまっているのかもしれない。
そんなことにはっと気付かされたひとときであった。

ちなみに、先生にはものもらいと言われたが一週間近く目薬をさしても一向に良くならない。病院に行った根源の問題は解決されていないようだ。

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