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ひとかけらの悠久


美しい木材組織を眺め、木片がたどってきた歴史と対話する時間は、私にとって一番幸せな時間なのです。

 『ひとかけらの木片が教えてくれること
  木材×科学×歴史』
  田鶴寿弥子 著/淡交社


そう語る著者の研究とは、
木材解剖学を軸に、
古い文化財の樹種を明らかにすること。
そして人間が木材とともに歩んできた歴史を、科学の力で紐解くこと。



木材の樹種を見分けることを「樹種同定」あるいは「樹種識別」と呼びます。


色を見れば、ネズコ(別名 クロベ)は少し黒みがかっていて、カヤは明るい黄色、ホオノキは青みがかり、クロガキはところどころに真っ黒な部分がある。
匂いを嗅げば、クスノキは非常に強い香りがして、ヒノキはすがすがしい香り、カヤは甘い香りがする。
重さでいえば、日本でいちばん重い木にイスノキやウバメガシなどが挙げられ、アラカシやクリも重く、キリは軽い。

ただし、これらは個体差があり、色や香りは経年による変化もあって、古材の識別には向いていません。

木材のもっともシンプルで、一般的な樹種識別方法は、木材の形態的特徴を視覚的に観察する方法です。

肉眼やルーペでも、おおよその樹種を絞り込んでいくことはできますが、日本には1000種もの木があって、樹種によっては木口面がそっくりなものもあるようです。そこで必要になるのが光学顕微鏡です。
木口こぐち面、柾目まさめ面、板目いため面の3断面から薄片を切り出してプレパラート(観察用標本)を作成し、つぶさに観察して樹種を絞り込んでいきます。


木製文化財において、材料である樹種を見分けることは、修理の際の代替材選びにも重要です。ところが、十分な量の木材片を採取できないことも多い。たとえば仏像を調査するために、大きく傷つけることはできないのです。しかし、千年も前に木材で作られた像には、劣化や虫食いの部分が往々にしてあります。その虫食い部分のくず、干割れ部位の微細木片、ほぞ穴の切削くずなどを試料にするそうです。ただし、手で触っただけで粉末になってしまうものもあり、そのようなもろくて壊れやすい極小木片では、「シンクロトロン放射光X線マイクロCT」という手法が適用されます。そのほか、近赤外分光法やDNAによる識別の研究も進められています。


信仰の対象としてつくられた仏像などの木彫像は、その樹種に、なんらかの特別な意味や歴史があると想像できます。
日本では、7世紀には木製の仏像が作られていました。現存するもっとも古い木彫の仏像は、奈良県斑鳩いかるが町にある法隆寺の救世くせ観音像とされており、その材はクスノキです。同時期に作られた仏像も、クスノキで作られたものが多いようです。
日本では古来より魂振たまふり(魂の失われた活力を再生すること。また魂を鎮めること)の木としてのクスノキへの強い信仰がありました。
ところが8世紀に入ると、それまで使われていた広葉樹(クスノキ)から、針葉樹による造像に変化したのです。
この解明がなされます。

このほかにも、仏像、神像、獅子・狛犬などの木彫像、仮面、木床もくしょう義歯、歴史的建造物、茶室、近代和風建築と、樹種識別の調査は多岐に渡って紹介されています。

そのひとつ、江戸時代に建立された京都市にある知恩院集会堂の部材樹種調査の話も、興味をひきます。

戦国時代、武将たちによる築城ブームによって膨大な量のヒノキが伐採され、枯渇していきました。江戸時代前期にはあまりにもヒノキが伐採されて森林が荒れてしまったため、長野県の木曽谷では留山とめやま(入山、伐採を厳格に禁止された)が行われ、18世紀初頭には木曽五木ごぼく(ヒノキ、サワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキ)が尾張藩の御用材以外には伐採禁止となりました。そのため、江戸時代においては、ヒノキを多く用いた建造物は作れなかった社会的背景があります。
ところが、知恩院集会堂でおこなわれた樹種調査約200点の内、その多くに質の良いヒノキが使われていたことを突き止めたそうです。
徳川家康は熱心な浄土宗信者で、知恩院を自身の母の永代菩提寺に定めたくらいです。当時知恩院が、徳川将軍家の厚い庇護を受けていたことにより、尾張藩の貴重な御用材、すなわちヒノキの良材を利用できたのだろうと、推測されています。




老朽化や損傷が避けられない文化財は、適切な時期に保存修理がおこなわれ、それを時代を超えて幾度となく繰り返すことによって今に伝わり、後世へと伝えていくことができます。
日本には古来、自然を崇拝するアニミズムがあり、樹木信仰がある。
そして大切に伐採された木に技術がほどこされ、付加された「祈り」がある。
その想いを絶えさせないようにと、光学顕微鏡をのぞいて、小さなひとかけらの木片のさらに小さな一片を眺めて悠久と語らい、その時間を幸せに思う。
そういう研究者がいる、
そのことこそが、幸せだと感じます。


夏の陽射しをやわらげてくれる
わが家のフウセンカズラが
今年も順調に伸びています。


あなたと、あなたの大切な人が、
今日もいい夢をみれますように。


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