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馬が駈ける島


北海道の東に位置する根室半島。
そこを走るJR花咲線の駅に
「落石」 や 「昆布盛こんぶもり」 がある。
太平洋に面したその地区の漁港から
沖合を眺めると、
眼前に、薄く平らに伸びた島が見える。
その小さな島が、ユルリ島。


人の立入が禁じられた
馬が自由にける島。


そんな島があることをこの本で知りました。

       出版社のホームページより





    『エピタフ
     幻の島、ユルリの光跡』
             著者・写真 岡田 敦
             インプレス




第33回木村伊兵衛賞を受賞された写真家、岡田敦さんが、2年余りにわたって根室市役所との交渉を重ね、上陸して撮影できる許可を得たのは2011年の夏のこと。
そこから巡る季節を追ってユルリ島に通い撮りつづけた写真とともに、元島民の方や関係者へのインタビューを通して紐解いていくユルリ島の歴史や馬の物語が記されています。

       出版社のホームページより


周囲をぐるりと崖に囲まれた台地状の島ユルリ島は、人家も道路もない無人島で、かつての住人たちによって運び込まれた馬の子孫が、いまも島の草原を自由に駈け回っている。


ユルリ島は馬が生きていくのに適していた。
緩島ゆるりしま灯台」 の足元近くから島の中央部一帯にかけて海霧に育まれた高層湿原が広がっていて、その澄んだ清らかな水を、ごくわずかな勾配が海に向けて静かに流れおりる幾筋かの沢をつくり、馬たちの喉を潤す。
そのうえ、馬が好むアイヌミヤコザサなどの食草が島を覆うように生い茂っていて、吹き寄せる潮風が笹に塩分を運び、その風が雪を吹き飛ばすので、たいして積もることもなく、冬でもいつも草を食べられるのだ。


ユルリ島で暮らしている馬たちのルーツをたどれば、終戦後に昆布漁の干場を求めて島に渡った漁師たちが労力として運び入れた馬に行き着く。
1971年に最後の島民が島を去ったあとも、かつての島民たちは折にふれて島に戻り、馬の管理をしており、残された馬たちは自然放牧のまま世代を重ねていく。
2006年には、元島民たちの高齢化などもあって、自然放牧場としての役目を終えることとなり、18頭となっていた馬たちが以後の交配を重ねることがないように、島には雌馬だけか残された。
こうしてユルリ島の馬は、消えゆく運命となった。


アイヌ語で "のいる島 “ という意味をもつユルリ島は、貴重な海鳥の繁殖地になっている。
島の険しい断崖に営巣する海鳥のなかには、アイヌ語で " くちばしが美しい " を意味するエトピリカや、“ 赤い足 “ という意のケイマフリなど、絶滅危惧種に分類される海鳥も含まれている。


また、高層湿原を特徴とするユルリ島は、北方系の代表的な植物のほとんどを網羅しており、夏に咲くタチギボウシや、晩夏から秋にかけて花をつけるナガボノシロワレモコウの群落も形成されている。
馬が好むイネ科やカヤツリグサ科の草丈が食圧によって抑えられるために、フウロソウ科やユリ科、キキョウ科、アヤメ科、ラン科などの丈の低い植物にも陽があたり、絶滅危惧種のヤチランやトキソウといった植物などが、緑の絨毯に色を添えている。


こうしたことから、ユルリ島は隣接するモユルリ島とともに、自然保護の対象として次々に指定を受け、人の上陸が禁止された島となった。






「ただ静かに消えゆくことが運命づけられた命の群れ」 は、年を追うごとに頭数を減らし、もう“ 群れ ”ではなくなっていた。

最後の1頭となる馬は、何を想うだろう。

一つ、また一つと消えゆく島の馬たち。その姿を見送りながら、僕は島に残ったわずかな光を拾い集め、写真の中に収めてきた。そして、失われゆく島の記憶を脳裏に宿している人たちを訪ね歩き、その言葉を歴史として紡ぎ直した。



『エピタフ』つまり「墓碑銘」 は、写真の中に刻まれている。

そこにあった命の連なりを示す一本の光跡のように

エピローグ「幻の島」



〈ユルリ島の概要〉

面積:1.98㎢
周囲(海岸線長):7.8km、
昆布盛漁港からの距離:南東2.6km
最高地点の標高:43.1m
人口:0
生存する馬の頭数:5(2022年)

国指定鳥獣保護区 (特別保護地区)
北海道指定天然記念物
北海道自然環境保全地域
生物多様性保全上重要な湿地

『エピタフ』より


岡田敦さんは、ユルリ島にまつわるすべてが詳細にわかるウェブサイトを開設されています。そのトップページには、ユルリ島の雪原を駈ける馬の映像がながれます。



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あなたとあなたの大切なひとが
今日も安全で、すこやかでありますように

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