春はくしゃみ。やうやう赤くなりゆく鼻先、すこし鼻水垂れつつ。

皆さんいかがお過ごしでしょうか?
寒暖差の激しい季節を迎え、最近は最高気温10度前後の日や、春一番の吹くような寒さだと思えば、夏日のように暑くなる日と様々です。
自律神経の乱れからか、やはり周りでも体調を崩している人が多い印象です。この記事を読んでいる皆様におかれましても、どうぞご自愛くださいませ。

さて、この記事のタイトルは『枕草子』の有名な段を真似たものです。
最近は大学の授業を受け、必死に課題をしております。
世間ではちょうど大河ドラマ『光る君へ』が放映され、清少納言や紫式部の話題については非常にタイムリーで、Noteなどを見ても、たくさんの清少納言や『枕草子』に関する文章であふれています。

「春は、曙」といえば、たくさんのひとになじみのある文章だと思いますが、どうしてこれが名文と名高いのか、私は授業を受けるまで、疑問に思ったことすらありませんでした。四季の時間の対比、情景描写はもちろん、美しいのはやはり『枕草子』という作品そのものが徹頭徹尾、中宮定子のために書かれていることです。

たった一人の人間に笑ってほしくて、あなたの人生はいついかなる時も美しいのだと。
どんな暗澹たる闇の中にいても、夜は明けて、山の端は少しずつ白んでいくように、あなたは闇を抜けて明るい場所へと行くのだと。
そういうことを、きっと、定子が生きていた時は定子を元気づけるために。定子の死後は、定子という最高の人間がいたことを、書き残しておきたくて。彼女が亡くなった、その先で、どうかその魂が暖かな場所で、安らかでいられますように、という祈り。

『枕草子』は清少納言から中宮定子に宛てた、祈りの文学なのかもれません。かの有名な紫式部が「紫式部日記」において清少納言を酷評したのは、
後の研究者に「いささか言い過ぎ」と評されるほどのこき下ろしっぷりです。
紫式部にとっては、中宮定子に起きた悲劇や、どうしようもない現実に真摯に向き合わず雅と称して、のうのうと笑っているかのように見えるのが、非情に思えたのかもしれません。
起こった出来事を描かず、美しいことや幸せな記憶だけで覆いつくしてしまうのは、むしろ、命に対する冒涜とまで思ったかもしれません。

けれど、清少納言の立場になって考えたとき、どうしてこれほど陰惨な現実を書こうだなんて思えるのでしょうか。自分の後ろ盾だった父は亡くなり、愛する兄は自ら信頼を失うような真似をし、中関白家の信用は失われ、挙句の果てに実家は焼失してしまう。
失意の果てに、中宮定子は天皇の后という立場にも関わらず、出家までしてしまいます。

そんな非情な現実を生きる主人に、従者である清少納言はどんな言葉を探して、送ればよかったのでしょう。
そう思うとき、やはり『枕草子』が描くきらきらとした宮中の日常は、中宮定子の心に寄り添ったのだと思えてなりません。
そして中宮定子の死後も、『枕草子』は描かれ続けます。中宮定子の波乱万丈の人生には触れないまま、彼女がずっと、豊かで暖かな春の日差しの中を暮らすように、穏やかに。


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