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エンジニアリング流れ論

先日、飲み会にて麻雀流れ論の話になったので、考えたことを書く。

麻雀流れ論

麻雀は下手だし詳しくもないのだが、良いゲームだと妄信しているところがある。ゲーム自体の戦略性も良いのだが、麻雀の打ち方に性格がよく現れるところが楽しい。対戦相手のことも、自分のことも本質がよくわかる。

麻雀には麻雀漫画から入った。なので、ぼくは流れ論が大好物である。

麻雀の「流れ論」とは、ゲーム中に発生する一連のイベントや状況が、次の展開に影響を与えるという考え方です。これは特に日本の麻雀においてよく言われるもので、科学的な証拠がないにもかかわらず、多くのプレイヤーが信じています。

ChatGPT

牌効率を中心とした確率のゲームであるとする対戦相手に対して、強者が「もしかして流れ論が実在するのではないか!?」としか感じられないようなゲームを作り出す。麻雀漫画のそういうシーンが大好きである。

漫画はリズムが重要だと思っている。特に麻雀漫画はその極みみたいな漫画ジャンルなのでたまらない。画面が延々と同じなのに面白いのはリズムの妙技と思っている。このリズムとはほとんど”流れ”に近いものだと思う。だからぼくが好きな麻雀漫画ほど流れ論を主張するし、それが漫画というフォーマットにハマっているのではないかと思う。

いずれにせよ麻雀において牌効率を否定することはありえない。ただし確率を超越した概念としての流れ論が存在すると思うかどうかで意見が分かれるところである。

エンジニアリング流れ論

ふと思った。エンジニアリングにも流れ論があるのだろうか?

無理にこじつけてみようと考えたのだが難しい。流れに期待することと、再現性があることが矛盾する。不確定性を下げようと努力してしまう。

改めて麻雀流れ論に立ち返ってみる。常識的に考えて麻雀は確率のゲームである。流れを感じるのは人間の方に過ぎない。そりゃそうだ。いやそれって麻雀に流れがないって言っているのでは?と思われるかもしれないがそうではなく。人間も構成要素として、はじめて麻雀というゲームになる。

麻雀漫画やカードゲームアニメなどが表現するように、ゲームは人間のプレイスタイルだけでなく、その奥にある精神、そして集団的無意識を浮かび上がらせる。それが流れ論なのだろう、と思う。

つまりエンジニアリングそのものに流れはないのだが、そこに携わる組織や人間の動きであれば、するすると流れ論を連想することができる。良いコードが良いエンジニアを連れてくる。難しいプロジェクトの成功が次の良いチャレンジを生む。

もしかしたら、エンジニアリングの工学的=ゲーム的側面こそが、隠された人間的側面=流れ論を浮かび上がらせるかもしれない。その逆説は忘れずにいた方が良いように思った。流れ論主義者として。

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