小説 園 第八話

相変わらず、エデンでの日々は意味の分からない問い合わせやクレームの嵐でストレスのかかるものであった。真辺さんに日々のストレスはどう処理しているのかと聞くと、枯れた花や葉を取り除くように、嫌なことは自分の中から消すのだと言う。養分が意味のないものに費やされるのを防がなければいけないらしい。真辺さんのように簡単に消せるまでにはできないが、少し気持ちは楽になった気がした。それはミニひまわりの発芽が楽しみであったことが小さな要因であったのかもしれない。
一週間経つと、ミニひまわりは発芽していた。綺麗にまだ薄い緑色のふたつの子葉がひょこっと出ていた。

ミニひまわりの本葉が4枚まで増えた頃、真辺さんから呼び出された。家に来て欲しいと言う。家に行くとまたしても真辺さんは縁側でどこか遠くを見つめていた。
「どうしたんですか、呼び出して」
「やあ大野くん、実はね、もう歳だからエデンをやめようと思ってね。大野くんにも出逢えたから、今まで続けてきてよかったよ」
真辺さんの年齢からして、いつ辞めてもおかしな話ではなかった。寂しい気もしたが、それからは逃れることができない。異動するときと同じあの感覚が蘇る。
「そうでしたか。いつでも復帰してくださいよ。真辺さんまだまだ元気じゃないですか」
「そうですね。植物で言ったら今花が綺麗に咲いたところですね」
「そうだ大野くん、ミニひまわり順調ですか」
「だんだん大きくなってきましたよ。咲いたら見に来てくださいね」

「順調のようですね。いいですか大野くん、花を咲かせることがゴールではありませんよ。植物もいきものなんです。ひまわりは一年草ですから枯れたら終わりです。枯れたらゴールなのです。突然枯れるかもしれないし、綺麗に咲いてから枯れるかもしれない」

「枯らせないように、頑張りますから」

「枯れることは自然の摂理ですから、恐れてはいけません」

まだ咲いてもいないのに、枯れるだか枯れないだかの話などしたくなかったが、真辺さんはやたら枯れることの話をした。僕はただ早く綺麗な黄色い花が見たいだけだ。僕は真辺さんの庭の草花に目もくれることもなく、足早に家に帰った。

翌日、佐々木店長が朝礼で真辺さんの退職を伝えた。
「園芸担当だった真辺さんですが、体調がよろしくなくてですね、入院されることになりました。それに伴いですね、退職されました。急ではありますが、ご理解お願いします」
真辺さんは僕に嘘をついた。そのことがどこか寂しかった。あれだけ枯れる話をしていたことに妙に納得したが、そうなると命に関わる重い病気になる。僕は急いで真辺さんに電話した。

「はい、真辺です、」
「真辺さん!どうして黙ってたんですか!言ってくださいよ!」
「あぁ大野くん、すまないねえ。君を観察してるとね、君が一番恐れているものが何か分かってきたんだよ。大丈夫だよ、私はね枯れてもね、大野くんの中に私の種を植えたからね。恐れることはないよ。大丈夫です。あぁ先生が来たから切りますね」

僕はすぐに真辺さんが重い病気であることを察知した。僕にできることはただ真辺さんの回復を祈ることしかできなかった。僕はまだ蕾のひまわりに「希望」という花言葉をつけた。この花が咲いたらきっと真辺さんは回復する。そんな思いを込めた言葉だった。

真辺さんと出逢ってから生活は変わったように思う。仕事内容は全く変わってないし、お客さんの反応が変わったわけでもなければ、僕自身のスキルが飛躍的に上がったわけでもない。ただ単に思考と視点が変わったのだ。仕事も私生活も全て自分という人間が軸で動いている。自分が正しい自分でいられるように、他人や外的なものを取り入れたり、取り除いたりする。そうすることが、生きることの基本だった。そして、自分の中にたくさんの種があるという真辺さんの言葉は僕のお守りとなった。あらゆるものがそれらの発芽の条件を満たすのかもしれない。もしかしたら、浪人したことも、あの大学に入ったことも、このエデンに就職したことも全部、真辺さんに逢うという種のための発芽条件だったのかもしれない。

僕は来るなと言われていたが、真辺さんの入院している病院に行った。真辺さんは病室で仰向けになっていて、彼のあのがっちりとした腕はどこにもなく、痩せ細っていた。そして、いつも通り、窓の外の遠くをただ見つめていた。

「真辺さん、僕、どうしても聞きたかったことがあるんです」

「はいはい、なんでしょう」

「初めて会ったあの日、真辺さんは植物は見た目以上に美しいと言ったじゃないですか」
「あの言葉の意味を教えて欲しいんです」


「それに意味をつけられるのが人間ですよ。それもまた本当に美しいです」


病室に生けてある切花はしなしなになって枯れかかっている。窓の外には新緑が煌めいた桜の木が見えた。夏の予感とともに時の流れに恐怖と希望を抱く。僕は恐怖と希望を天秤に乗せて、希望の方に自分の持つ全ての重さを乗せた。


終わり


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