小説 園 第二話

「大野さん、ごめん、クレームの電話なんだけど。いける?テーブルのパーツのネジ穴が潰れてるみたい。転送するね」
はあ、またかと思って嫌々電話に出る。
「お電話代わりました大野です」
「2人がけのテーブルをね、昨日買ったんです。そしたら椅子のパーツのネジ穴が潰れてるみたいなんです。これじゃあ組み立てられないんです」
「商品に不備がありまして大変申し訳ございません。そちらの商品お持ち頂ければ、新しい商品と交換させて頂きますので」
「お持ち頂ければって、私が持って行くんですか?もう組み立ててる途中でね。私足が悪くてね、そっちまで行くの容易でないのよ。そもそもおたくがいけないんじゃないのよ。うちまで持って来てくださる?」
電話越しのおばあさんが言っていることはごもっともだった。ただ来てくれるお客さんもいる為、毎回丁重に来てくれるように誘導することから始める。大学生の僕だったらおばあちゃん悪かったねと椅子を組み立てに行ったのだろうけど、社会人になって罵声を浴び続けた僕ができたのは舌打ちだけだった。こちらも人手が足りないのだ。何にせよ悪いのは会社側であるので、この会社の人間である以上、こうなった場合はこのおばあさんの家に行く他なかった。
「大野18番です」
店内放送で従業員にだけ伝わる暗号を流す。18番という奇妙な数字はクレーム対応で外出することを意味した。この悪魔の数字を聞いたとき、皆その声の主を可哀想に思うのだった。

車を持ってない僕はお客様貸出用の軽トラックを貸出不可にして、その車でおばあさんの家に向かった。慣れない運転で15分ほど車を走らせた。一戸建ての立派な家が建っていて、外には大きな庭があって綺麗に手入れがされてあった。インターホンを鳴らすと例のおばあさんが出て来た。その後ろには娘さんらしき人と、その背中には小さなお孫さんがいた。日曜日の家族団欒の時間だったのだろう。安月給で日曜日に椅子を組み立てに来た独身の男と、大きな家に住む家族団欒中のおばあさんという構図が、僕を惨めにした。悪いのはこちら側なのにそれは酷く暴力的に感じた。
「この度は大変申し訳ございませんでした」
この会社に来て、どれだけ謝っただろうか。そしてどれだけ本当に悪いことをしたと思っただろうか。僕の心はすでに腐敗していて、取り返しがつかない状況なのではないだろうか。
「あんたに言ってはどうにもならないんだろうけどねえ。こんなことってよくあるのかね。上の人間にしっかりしてくれって言ってくれよ」
家に来て、新しいものに交換するとなると流石にお客さんはそこまで怒ることはなかった。商品不備でお客さんが怪我をしてしまうケースや接客案内誤りで商品が適応していない場合、お客さんの所有物を壊してしまう場合は、それなりの怒号を浴びることとなる。それは当然の人間の反応であるのに関わらず、僕はすんなりと受け入れることができなかった。
ものの10分で椅子を組み立てておばあさんの家を出た。小さい赤ん坊が母親の背中の上で僕を見ていた。それは哀れみの眼差しのようだった。
いつまで、この仕事を続けるべきだろうか。給料がいいわけでもなければ、土日休みも大型連休もない。そのくせ、ストレス過多だった。他の仕事に就いたところでストレスから逃れられるなんていう甘い考えもなかった。この社会は残念ながら過酷で逃げ場がない。僕は気付いたら軽トラックを停めて、河原に来ていた。河原には1組の家族がバーベキューをしていて、少し離れたところに大学生のカップルが座っていた。僕はあの家族になれないのだろうか。あんなように家族で和やかな休日を過ごす日が来ることがあるのだろうか。小学生の男の子が丸くて平たい石ころを見つけて川に投げた。石ころは4、5回川を跳ねて、男の子はキャッキャっと声を上げた。その声はこの高い空に不思議と響き渡っている。大学生カップルは静かに並んで座っていて、川を見つめていた。その姿は穏やかな時間が流れているようにも見えたし、今の僕にはどこか不穏にも思えた。二人の未来がどうなろうとも、二人は生きていてくれよと勝手に思った。
日が沈みかけていて、夜が迫っていた。空が何色か僕は気にもかけずに、全てをのみこみそうな灰色の川の流れを見ていた。

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