マッチングアプリをやりたい欲望を解放、あるいは閉じ込めた文

GWが明けた。だがそれは世間一般的な話であって、世界は当たり前に統一されてない。僕みたいにGWや土日さえ関係なく働いている人だって大勢いる。なのにどうして、世界はあたかもフィーバーのように煽ってくるのだろう。どこも混んでしまえと、自分の中の膿がつぶやく。

明けた月曜日、休日の僕は優越感に浸るはずだった。9連休を獲得したお調子者達の連休が終わり、彼らが悲壮感に漂う中で休むのだ。

だが、その優越など自己満足未満でしかなかった。9連休を楽しんだ人の方が絶対にいいし、何より、今日休みの人の方が少ない。結局僕は孤独なのだ。

孤独を感じる度に、マッチングアプリに登録したくなる。しかし、登録一歩手前でなんとか踏み止まる。気が狂うのを知っているからだ。だからこうやってnoteに文章を書くことで、欲望を解放あるいは閉じ込める。

マッチングアプリに登録するなら名前を何にしようか。昔やっていた頃は本名の一部を切り取って名乗っていた。今ならそうだな、ラジオネームみたいな名前をつけたい。みそ汁大臣とつけようか。霜降り明星が好きだし、漫才にも出てくるみそ汁大臣。ラジオネームか!というツッコミ女子か、霜降り明星ですねとセンサーの鋭い霜降り明星好き女子に目が止まったら手を叩いて喜ぶだろう。

写真はきっと、この間のnoteにあげた四天王を使うだろう、もう一枚くらい顔写真を使ったら相手にとって安心だろうから、そこまで盛れてない写真を一枚起用したい。といってもこれはマッチングアプリ、相手を選びたい放題のこの大海原で写真を厳選しないでどうするんだという話でもある。顔、写真と違うねと言われた過去がある。加工もしてないのにだ。これは盛れてる角度を知っていて、その角度を使いすぎているという現実と、盛れてない角度がブスなのだろうという現実からくる現象なのだろう。マッチングアプリに嫌気がさして、ゲームから始める恋みたいな庭作りのゲームを始めたことがあった。ゲームは全然面白くなかったが健気に進めていた。仲良くなれた女の子も現れ、話題はもちろん見た目の話になる、ゲームだから顔写真はなく、芸能人誰に似てるかという話題になる。僕は正直に似てると言われたことのある芸能人の名をあげた。目黒蓮、赤楚衛二、林修。
LINEを交換して、自分の写真を送ると、それ以降LINEが返ってくることはなかった。
僕はこれ以降、誰かに似てると言われても、絶対鵜呑みにしないし、自分から言うことは辞めようと思った。

見た目はつまり、勝てないということだ。
そうなると次はプロフィールに何を書くかということになる。1番大事なのは土日休みではないという情報な気がした。いくら気が合っても会えなければ意味がない。心の距離など、物理的な距離と比例関係に近い関係があることなど曲げられない事実だと思う。

好きなことやものも書いた方がいい。ラジオ、銀杏BOYZ、霜降り明星、CRYAMY、青山美智子、又吉直樹、ストレンジャーシングス、MARVEL。自分の好きなもののテリトリーに触れる女子はどれほどいるのだろう。本当に好きなものほど、なかなか共通しないのではないのだろうか。嘘でも甘いものとか入れた方がいいのだろうか。甘いもの食べに行きましょうという、デートへの誘導はしやすいものの、甘いものトークの引き出しなど持っていない。このドーナツは揚げてるから、油全部飛んで0キロカロリーだね、エヘヘへ。1人で笑ってスベってる未来が容易に想像できる。

名詞を並べるだけでなく、文章にすることで人柄を出した方がいい気もする。

「何年ぶりかにはじめてみました。
仕事柄シフト制で、休みが土日に希望出しにくかったりするので、平日休みや、シフト制の人の方が合うのかなって思ったりします。
霜降り明星や、銀杏BOYZ、CRYAMYが好きで、今年はたくさんライブに行くことを目標にしています。
ラジオはよく聴いていて、好きな番組は三四郎のANN0、霜降り明星のANN、川島明のねごと、あとは寝るだけの時間、などが好きです。
小説を読むのも好きで、青山美智子さんの小説はほとんど読んでいます。
映画やドラマはアメコミ系が特に好きで、marvel、ストレンジャーシングスが大好きです。」

このままだとただ好きなものを並べたありふれた男である。あらゆる選択肢があるとき、それに勝るには差別化を図るのが定石である。

「あと文章書くのが好きです。せっかくなので、一節だけ読んで、僕をジャッジして下さい。返信待ってます。

人間は運命や奇跡という言葉が好きだ。現実に起きた自分にとって都合のいい出来事を全て運命と奇跡にするのだ。そして僕もまたそういう人間だった。」


気持ち悪い気がした。
これだったらいっそのことnoteで文章書いたりしてます。とURLを貼った方がいいのではないか。いいや良くない。こんな捻くれたやつ引かれるに決まってるし、心の内部のヘドロまで見られたら、マッチングするわけがないし、こんな男がいたんですよぉ〜とクールポコ手法でSNSの餌食になるかもしれない。

なんて考えていたが、本当は心の内側まで知ってくれてる人と出会えたらどれだけ楽なのだろうかって思う。心を曝け出すのはこわいことだ。なぜなら自分の心が決していいものではないからだ。なのになぜこんなにも傲慢なのだろう。なぜいいものでないものを受け入れて欲しいなど思うのだろう。僕は沼の中にいる気持ちになった。

この沼から脱出するにはどうしたらいいのだろうか。まずは自分が受け入れることからはじめなければならないのではないのだろうか。僕は他人をどこまで受け入れることができるのだろうか。

ここまで考えていたら長文エッセイになってしまったので、この辺でやめるとしよう。

もし、マッチングアプリで見つけたらよろしくお願いします。

僕は欲望を解放して、そして閉じ込めて孤独で自由な日常に戻る。

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