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じぶんが得意な表現方法を、もう一度考える

自分以外の他人に
自分の思いを伝えるための手段は
いくつかある。

話す
歌う
書く
描く

人によっては
踊る
造る
作る

"話す"バリエーションだって、対面・個室・大勢の人に話す・数人に向けて話す
…たくさんある。

わたしは、その中の"描く"を選択している。いや、固執し、硬く握りしめている。

世の中には、こんなにたくさん表現する手段があるのに。

描くか、描けないなら描けるように勉強する。それだけを意地になって、頑固な頭で、誰にも相談せず、それを大層大事に握りしめて、この数年過ごしていた気がする。


オンラインカウンセリングを終え、考え方も、捉え方も、いい意味で隙ができた。自分への、他人への、頭の余白ができた。

一人で必死に握りしめていた"描く"は、誰かに必要とされたくて、認められたくて、求められたくて、手を離すことが出来なかった。

でも今は、誰かに必要とされなくてもいい。多くの第三者に求められなくても、大切にしたい周りの人達がいたらいい。

自分が一番欲しかったのは、自分自身だった。いま、やっと、自分が自分を求めている。

だから、むやみやたらにコンテストへ応募しなくても、応募して選ばれなくても、少し悔しいけど、落ち着いていられる。選ばれなくても、自分の創作するという行為は否定されない。

オンラインカウンセリングで向き合った自分の内面、感情、気持ちを、自分自身に記すには、どんな表現方法がいいだろう。
そこから派生して、同じように何かにとらわれている誰かの心に届くのは、どんな表現方法だろう。

やっと出会えた感情を表現するのは、描くなのか、それとも、書くなのか。
わたしにとって、どんな方法がいいのか。

夫に聞いてみると「漫画は…あんまり…キャラクターとか描いてみたら?」という反応だった。うん、そうね、わたしも漫画はあんまり得意ではないなって、正直思い知ってる。(でも、キャラものも当たればいいけど、むずかしいのだぞ、と心の中でひとりごちる。)

書くも描くも、上には上がいる。noteでは特に思い知らされる。noteを長くやってるから、毎日投稿してるから、そういうことで、おすすめやおすすめユーザーに選出されない。そういうお情けのない世界なのだ、書くも、描くも。

じゃあ、自分が好きな表現方法にしたら?という話になるけれど、そこは"好きと得意は違う"という看板に足止めされる。


わたしは、書く方が圧倒的にラクだ。何文字でも打てる。日記も書き続けられるし、学校の日誌も、職場の日報も、はみ出すくらい書ける。書いたものを誤字がないようにチェックしたりするのも苦じゃない。

でも、それと誰かの心に届くよう、伝わるよう、書くとは、違う気もする。

描くは、それなりに描けるようになってきたし、描いていて楽しいから描いてる。少しずつ表情豊かな漫画になってきている。でも、真面目さが出た、きっちりした漫画になってる気もする。

漫画家を目指すわけでもなく、でもアイデアを形にするのが楽しくて、漫画を描いている自分。
書くことなら出来るけど、それが作品に結びつくかは未知数な自分。

いまのところは、決めないでおこう。

描くに固執しなくていい。書くを混ぜながら、描きたいものを。
それだけでも、少し、やわらかく表現できるような気もする。

#創作
#表現
#エッセイ

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